これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

FC2ブログに引っ越しました。週一回か二回は更新しています。

アレルギーとストレスは。。

アレルギーもストレスと大いに関係する。

花粉症の季節となった。
今年は最盛期になるのが十日も早いとか。
突然、一気に症状が出て当惑している。
昨日から目が開けられなくなり、半眼での暮らし。

この花粉という物理的ストレスがある上に、
精神的・心理的ストレスが加わると、症状は激化する。
今までの経験上それは実証されているので、
できるだけ心穏やかに過ごそうと思う。

認知症の人はストレスが多い。
毎日少しずつ脳が壊れていたら、それはそうだ。
うちの親はアレルギーは全くなかったが、
認知症になってからは湿疹が出るようになった。

ストレスとアレルギーは相関する。
詳しいことは知らないが、事実だ。

<That's Ninchi Show 2  No.1384>

こだわりが多いと、ストレスも。。

こだわりを捨てるとラクになる。

よく言われることだ。
物事にこだわる、執着心というのだろう。
それが強ければ強いほど「生きにくい」わけで、
障害物がそれだけ多くなり、前に進めない。
進めない、思うようにいかないとなると、
イライラし、周囲の人にあたるようになる。
そうなると誰も手伝ってくれなくなり、
もっともっと障害物が増える。

よく考えたら、そういう執着心の強い人は、
「自らストレス過剰状態を作っている」
ということになる。
同じ環境におかれても、
ストレスに強い人と弱い人がいるが、
その差はこういう所にもありそうだ。

幸も不幸も自分の心しだいで、
こだわりを捨てればラクになる。

「施設はかわいそう、どうしても在宅介護」とか、
「他人が家に来るのは…やはり家族で」ということに
こだわっていたらラクになれない。




<That's Ninchi Show 2  No.1383>


瞑想、思ったより困難で。。


「一から十まで数える」瞑想を試してみた。

心を無にしようとすると、いつも「無」が浮かぶ。
いつも「無」という字が頭に浮かんでしまう。
「一から十まで」瞑想でそれが消えるかを試してみた。

結果、「無」という字は消えた。
けれども、瞑想できたかというとできていない。


代わりに「一や十、1や10」が浮かぶかと思ったが、
これは浮かばなかった。
では、心が無になったかというと、だめ。
今度は耳鳴りが気になってしょうがない。

子供の頃から耳鳴りがある。
キーンとかジーンとかで、ほとんどいつも。
その音はいつもあるので気にはしていない。
気にするのは聴力検査の時だけ。
検査音とよく似ているからだ。
「音が鳴ったらボタンを押してください」と言われても、
どちらがどちらかわからないことがよくあった。

瞑想しようとして、キーンが聞こえると、
「今日は高い音だな」とか、
「どこか脳が壊れてるのかも」とか、
よけいなことを考えてしまう。
これを克服するには相当時間が必要だろう。
先は遠い。




<That's Ninchi Show 2  No.1382>

ストレスには脳を休ませることで。。

ストレス対策として瞑想がある。

誰でも、どこでもできる。
お金がなくても、わずかな時間でもできる。
筋力がなくても、仲間がいなくてもできる。
心を無にして座っていればいいだけだ。

ところがそれが難しい。
何回もトライしてみたが、無理。
雑念を払うために「無」をめざすと、
頭の中に「無」という字が出てきて消えない。

深く息をすって、長く吐くといいというので、
それも試したが、だめ。
長さにこだわると、「無」になれない。

高野山のお坊さんが言うには、
普通に息をして、それを十まで数え、
十になるとまた一に戻って数える、
というのがいいらしい。

二十や三十と続けて数えるとそこに「こだわり」が、
雑念が生じるということだ。
「もっと長く、できれば百まで」というような、
達成願望のことだろうか。
リラックスしようとして瞑想していて、
「百まで」がんばっていたら無意味。
なるほど。

これだけでなく、百まで数えていたらよくないのは、
頭を使うからだと思う。
計算して脳を疲れさせて、リラックスはない。

心を無にするというのは、脳を休ませることだ。
現代人は脳を使い過ぎなのだろう。
「一から十まで」瞑想、試してみようと思う。
いつもの「無」という字は消えるだろうか?




<That's Ninchi Show 2  No.1381>


介護殺人、またかで。。

介護殺人、「またか」の世間では。

先週から今週へと、また介護殺人が報道されている。
老夫婦の間で介護が原因で起きた事件だ。

これに対して世の中の反応は特にないようで、
「またか」でスルー、驚くこともなくなった。

報道された原因はたったの一言。
妻、介護していた側(ケアラー)が殺された時は、
介護施設に行く」ように言われたから。

夫、介護されていた側が殺された時は、
「文句が多い」から。

その一言の背景にどれだけ深刻なものがあったのか、
誰も考えようとしないのだろうか。
介護は家族の問題だから?
そういう事件になるのは特別な人だから?
「介護で苦しんだとしても、自分は殺さない」から、
自分には無関係だと思うのだろうか。

極限の状況になると、普通の人も普通ではいられない。
誰だってこういうことが起こる可能性がある。
これらの事件は他人事で済ませられないものだ。

老老介護」や「たった一人の介護」を放置して、
見て見ぬふり。
政府がそうだからといって、社会がそれでいいのか。
他人事ではなく、自分のこととして考えてみるといい。
そんな老後、どうする?




<That's Ninchi Show 2  No.1382>

悩んで損したことが。。

つまらないことで悩む癖がある。

先日の納骨式の前、「お墓のお供え」を買うのに悩んだ。
石屋さんに頼めば三千円の追加で用意してくれるが、
やはり故人の好物を供えたい。
自分で用意しようと思った。
しかし、好物だけでいいのかとネット検索すると、
おおよそ次のような答えだった。
海のもの(昆布など)と山のもの(野菜など)と、
果物、丸もち、菓子、酒、水(ペットボトルの)などを、
半紙を敷いた上に並べるそうだ。

うちの墓は一般的なサイズよりやや小さめで、
そんなに多くはお供えできない。
小さいもの、量が少ないもの、それが条件だ。
近所のスーパーの店内をうろうろして、
「つまらないことで悩むな」とよく言われるが、
普段の倍ほど時間をかけてやっと決まった。

果物や菓子は「丸いものがいい」とあるので、
リンゴ、ミカン、個包装の三笠と栗饅頭。

スペースが少ないので海と山は省略。
お酒が飲めない人だったから、
お酒の代わりに果汁100%ジュース。
小さいペットボトルの水。
そして書道用半紙。

さて、当日どうだったか。
スペースの心配は無用だった。
石屋さんが焼香用の台だけでなく、
お供えのための三宝を用意してたから
三宝には半紙も敷いてあった)
もっとあってもよかったわけで。
何のために悩んでいたのかと思う。
つまらないことで悩む癖、困ったものだ。




<That's Ninchi Show 2  No.1381>


エピソード記憶が。。

名前は左脳、顔は右脳だそうだ。

年を取ると、名前が出てこなくなる。
知っている人の名前を思い出せない。
顔は覚えているのに。

その理由は脳にある。
名前は左脳、顔は右脳というように、
記憶の収納場所が離れているから、
連結がうまくいかないとそうなる。

同じ場所にセットでしまわれていたらいいが、
別々の場所にあるから、「つなぐ」必要がある。

何が「つなぐ」かというと、エピソードらしい。
二つのデータを連結する、共通のエピソード。

道で「どこかで見たことのある人」に遭遇し、
「生命保険のオバサンだ」と思い出す。
そこで、名前は?
以前もらった景品に名刺が付いていた、
その画像が頭に浮かぶ。
「田中さんだ」とわかる。

そういうように、エピソードが二つをつなぐが、
認知症になるとエピソード記憶が消えるのか、
データは消えていなくても、連結ができない。

「親なのに子の顔を忘れるなんて」と思うし、
「子の名前が出てこないなんて」とも思うが事実だ。
エピソード記憶を保持するにはどうすればいいのだろう。



<That's Ninchi Show 2  No.1380>