認知症で胃ろう、寿命を決めるのは。。。。。
胃ろうの問題は、寿命を人為的に決めることにある。
うちのおばあちゃんの場合、今の時点では口から食べさせて食べられるのは一日に栄養ゼリーが一個か二個、せいぜい300~400kcal だろう。
いくら寝たきりで老人で基礎代謝が少なくても、これでは生きていけない。経管栄養(経鼻チューブ、胃ろう)か、高カロリー輸液の点滴(中心静脈栄養)が必要になる。
経鼻チューブは見るからに苦しい。鼻の中に常時、寝る時も管が通っているのは耐えられない。一週間だけとか三日だけと限定されているならまだしも、何ヶ月もは。
想像しただけでもわかる。ひどい違和感で毎日イライラがつのるに違いない。鼻から胃カメラのチューブを入れたことがあるが、短時間でも耐えられない感じだった。
それからすると胃ろうは違和感という点では優れている。おなかを気にしなければ。
ただ「手術するという危険性」がある。開腹手術でなく、内視鏡手術ではあるが。
おばあちゃんは七月の胆管炎の内視鏡手術でも出血がひどく、輸血をしても貧血が続き、回復が遅れた。高齢だからいつもこれで最期かと覚悟をさせられてきた。
できることなら「簡単で患者の体力低下の負担も少ない」内視鏡手術であっても高齢者は避けたいものだ。が、今はその危険性がどうのこうのと言ってもいられない。
医師が言うには、中心静脈栄養では「あと半年か、一年」しか生きられないそうだ。その間に経口摂取(もとのように口から食べること)ができるようにならない限り。
そんなことを聞いて、胃ろう拒否ができるだろうか。家族の決断で、「あと一年」の命と限定していいかどうか。親の寿命を子が決めれるだろうか。
胆管炎を手術した時の支払いは一週間で五万円強だった。その程度だと思う。
将来的には三割負担になるかもしれない。サラリーマンの健康保険がそうなったように。三十年前四十年前は本人は一割負担の時もあった。今では夢のようだ。
一割負担なら胃ろうで長生きできるが、三割負担ならどうだろう。医療費が高くて払えないから、入院もできないし手術もしないということも考えられる。
寿命はそんなことで決まってはいけない。寿命は人為的に決まるものではない。