胃ろうで退院か、余命半年か。。。。。
終末期の延命としての胃ろう導入は好ましくない。
うろ覚えだが、老年医学会で発表されたガイドラインには、このような内容のことも含まれていたと記憶している。二年ほど前だ。
この他に、「本人の生活の質を重視し、そのための胃ろう栄養の中断もあり得る」というようなことまでガイドラインにはあったと思う。
うちのおばあちゃんが医師に「胃ろうを」と言われたのは去年の秋だから、この医師は当然「終末期だとはみなしていない」ということになる。
しかし、「このまま中心静脈栄養を続けていたら余命は半年かもしれない」というようなことを言われたから、それなら終末期ということだろうか。
中心静脈栄養というのはカテーテルによって高カロリー栄養液を身体の奥の太い血管にまで送るもので、長期間になると問題が出てくるらしい。
もともと血管は高濃度の液体を流すようにはできていないから負荷が大きい。カテーテルが血管壁を傷つけ、血流悪化や炎症を起こすこともある。
胃ろう老人には年間500万円かかるという。本人は一割負担だから、あとの450万円は国費などだ。それを思うと胃ろうは選ぶべきではない。
逝くべき時に逝かせず、「胃ろうで長生き」させ、何年も大きな負担を社会にかけることになったら、誰だって心苦しいし、申し訳なく思う。
胃ろうを選ぶかどうか、考えても考えても答えが出ない。それなのに、病院は急患に備えて早くベッドをあけてほしいようで、選択を迫る。
胃ろう手術をして退院するか、手術せずに療養型病院に転院するか。
「余命は半年」だと覚悟して、胃ろうを付けない。そうするのが社会のためであり、もしかしたら本人のためでもあるのだろう。
そういう決断ができ、実行できる人は強い。あと半年と決めてしまうことに抵抗があり、「その時」を少しでも遅らせたいと思うものだから。
他人の親の時には「胃ろうは付けるべきでない。自分の親がそうなっても、胃ろうは付けない」ときっぱり言っていた人が、実の親となると違う。
親には生きていてもらいたい。何が正しいとか適切だとか、論理的に考えてどうだとかは関係ない。それが親子ということなのだろう。
親子の情と病院や施設の都合、これが胃ろう老人を増やしているようだ。