胃ろう拒否は簡単にはいかない。。。。。
「ほんとうにこれでよかったのかな」と思う時もある。
胃ろうで寝たきりで認知症、そういう「終末期」と言われる老人を介護している家族の多くは「胃ろうにしてよかったのかな」と思うことがあるだろう。
そう思わせるような状態になると知っていた人も、知らなかった人も。
胃ろうを付けることに同意した時には「先のことまで考える余裕もなかった」というのが多くをしめると思う。ゆっくり考える時間も与えられないから。
栄養不良が続くと老人はもたない。看取りか延命か、その瀬戸際にいる。
胃ろう手術を勧める医師からは、「胃ろう老人のその後」についての情報は全く提供されず、情報不足の中で家族が決断を迫られる。
「延命としての胃ろう造設は正しくない」「胃ろうで延命しても終末期を長引かせるだけで、意味がない。本人には迷惑」という意見がある。
もし仮に、家族がそれはもっともだと思って「胃ろう拒否」を決めたとする。それがすんなり認められるかというと、そう簡単にはいかない。
あちこちから反対される。たまにしか会いに来ないで、お金も労力も出さないのに文句だけを言う、「いないほうがいい」親戚や兄弟姉妹から。
「どんな姿になっても生きていてほしい」と言う。
言うのはやさしいが、そうなった親を支えていくのは誰だ? 胃ろうで寝たきりで何年も、十年でも、見るのがつらい状態になっても。
「どんな姿になっても」と言っていた人が、「会いに行っても昔話の一つもできないから」と顔も見に来てくれないとしたら、何のために?
また、病院側の圧力も大きい。
「最善の医療を提供しようとしているのに、それをいらないと言うのなら、さっさと家に連れて帰ったらいい」と言われた時には反論もできない。
医学知識もなく、ただ「胃ろう反対」という一部の意見に踊らされている。そういう風にしか見てもらえず、家族の気持ちを理解してはくれない。
知識も情報もない家族だからこそ、医療関係者とじっくり話し合って、どうすれば本人がラクになるか、最適な道を選びたいと思っているのだが。
何も知らない者は文句を言わずに従っていればいい、そういう前時代の遺物のようなお医者様がのさばる世界では無理な要求だった。
これらの抵抗をはねのけないと「胃ろうを付けない」道は選べない。