これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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瞑想、ストレス対応として。。

瞑想ができる人がうらやましい。

ストレス対策の一つとして瞑想がある。
ただじっとしていて何も考えず、「無の境地」になるだけ。

道具もいらず、他の人の協力もいらず、
体力も筋力も大していらず、お金もかからない。

誰にでもできそうだ。

それだけで脳がリラックスできて、心がラクになりストレスに負けないでいけるなら、試してみる価値はある。だが、

何度試してみても上手くいかない。

目を閉じていても、まぶたの裏に必ず何かが見える。
点々とした光の粒が、時には動いたり色が変わったりする。

これが気になって少しも「無」にはなれない。

見えるものを気にしてはいけないんだと「無になろう」とがんばる。
すると、頭の中に「無」という字が浮かんできて消えない。


「何も考えない」のではなく、ひたすら「無」を考えている。

そのうちに外の音がじゃまする。救急車が通ったり、上の階のエアコンの室外機が動き出したり。

そうなると、「誰か近所で病人が出たのかな」とか、「もうエアコン使っているんだ」とか考え始めて、「無」どころではない。

ここに至るとさすがにあきらめる。
少しもリラックスできてないなら時間のムダだと。

瞑想は「ぐっすり眠ったのと同じ」効果があるらしいが、
できる人は何か特別な技術でもあるのだろうか。

「自分にとらわれている」人、「自分が自分が」と自我に固執している人は「無我の境地」など無理なのかもしれない。

そういう人こそが多くのストレスを抱えていると思うから皮肉だ。

「我おもう、ゆえに我あり」というように、何かを考えるのが人間だから、「何も考えない」というのは難しい。

「何も考えない」というのは「自分を瞬間的に消して宇宙と一体化する」わけで、仏教の修行に通じるものがある。

座禅にはそういう意味があるのだろう。

病気や戦争など昔の人だって現代人並みに、またそれ以上のストレスがあったはずだから、そこで必要上生み出されたと思う。

さて、自分には無理なようだがこの修行を続けるべきかどうか。

最終的に目標が達成すれば「心がラクになる」のだが、それまでの長い期間「できない自分にイライラする」ことを考えると、

あきらめるほうが脳に良いと思うのだが、どうだろうか。




<That's Ninchi Show 2 No.1269