対処法があると、逆に重荷となって。。
ストレスを避ける方法がわかっても、かえって苦しむこともある。
避ける方法(対処法)があるのに自分ができない場合だ。こうすればいいとわかっていても、結果としてできなければもっと苦しい。
次はこうしようと思っていても、そうすればストレスは軽減されると理解していても、そうできなかったら以前よりも悩みは深い。
避けられるのに「自分がダメだから」避けられなかったという、後悔だ。
たとえば「笑顔で介護」、そうすべきだとわかっていてできない。「笑顔で介護」を守ればある程度は認知症の悪化を遅らせることができるのに。
わかっていても、いざ認知症の本人を目にすると、「こんな姿は見たくなかった」と思い、「これからどうなるのだろう」と不安になる。
ついつい「ほんとうの気持ち」が顔に出てしまい、笑顔になれず、認知症の本人の不安感を増大させ、その結果、被害妄想の後始末に苦しむ。
対処法を知らなかった時も同じように後始末して、同じ程度にストレスを受けたわけだが、その時のほうが逆に心は軽い。
ストレスを避ける方法があるのにできなかった場合、「できない自分」に対して、後悔と劣等感と自責の念を持つからだ。
これらをたとえて「対処法がある時の重荷」だと言われている。
「対処法とストレス反応」についてマウスの実験がある。マウスの場合は対処法があると、ストレス反応は軽減されるという結果だ。
電気ショック(ストレス)に対して、ボタンを押すと回避できる(対処法がある)場合、アドレナリンの数値(ストレス反応)は減少している。
ところが、同じ実験をしても霊長類ではそうとも言えないらしい。
「ボタンを押すと電気ショックはない」とわかっているので、常に「ボタンを押さねばならない」と緊張して身構えているからだ。
「ボタンを押す」ことが重荷となっていて、それだけでストレス反応が起きる。
人間なら、個人差ということだ。重荷に感じない人は「ストレスに強い人」だと言えるかもしれない。
重荷でストレス反応が起きている人はどうしたらいいのだろう。
自分の能力を知り「できないことはできない」として、自分に対して過度の期待をしないこと、開き直ることだろうか。
できないことはできないでいい。家族にしかできないことを完遂できるなら、もうそれだけで充分だと思う。
後悔と劣等感と自責の念という重荷から、自分を解放してあげよう。
<That's Ninchi Show 2 No.1149>