認知症、早期発見に「年だから」は。。
「年だから」で終わったのが失敗だった。
認知症は早期発見が第一と言われている。
今の医学では治療困難で、悪化を抑制するしかないからだ。
早期発見して適切な環境を整備することで、上手くいけば「脳細胞の破壊の速度を遅らせる」ことができる。
うちの親の場合はそれができなかった。
発見が遅れて、どうしようもないレベルに達していたからだ。
同居家族がいないと発見は遅れるものだが、たまに訪れるだけでも異変に気づくことはある。
うちの親は長く一人暮らしをしていたが、神経質という程きれい好きで、家の中も外(塀など)もいつも磨き上げられていた。
ある時点で「何か、家の中が汚い」と気づいたのだが、「もう年だから、後期高齢者だから」と思っただけだ。
他の家族も全員だいたい同じ意見だった。
変化には気づいていたが、それは「年のせい」だと。
「神経質過ぎたから、ちょうど人並みになってよかった」とか、「年取ると人間が丸くなると言うから、それでしょ」とか。
これで終わらせたのがまちがいだった。
異変を察知したら即、適切な対応をとればよかった。
これは「この人らしくない」から無視できないものだった。
今までのことからして、年のせいで自分で掃除できないなら、誰かに頼む、そこまでのこだわりがあった。
手が届かない所などは家族が来た時に、家族が都合が悪い時などは業者にお金を払ってまで「きれいにする」ことにこだわっていた。
この変化は今から思うと認知症のせいだったのだが、当時はそんなことを思いつきもしなかった。
その異変を「年寄りは少々汚なくても平気なものだ。やっと普通の老人になった」として無視してしまった。
このずっとあと「常識から外れた、おかしな電話」が来て初めて、「認知症になったのでは」と疑うようになったのだが、
その時にはもう認知症中期になっていた。
認知症の早期発見には「年だから、年のせいだ」は禁物だ。
「この人らしくない」変化だけは見過ごしてはいけない。
<That's Ninchi Show 2 No.1308>