認知症になるとケチになる、一時的だが。。
認知症になるとケチになるのだろうか。
認知症を発症すると「別人のようになる」ことが多いが、うちの親を見た限りでは「ケチになる」と言えないことはない。
というより、うちの親に限っては100%そうだと言える。
うちの親二人は二人とも元々は「金払いのいい人」で、
「ご祝儀をはずむ人」で、「物を買うのが好きな人」だった。
だが、二人ともなぜか発症後は極端にケチになった。
わずか二百円のことで、服薬管理のために来てくれた訪問看護の看護師さんを家に入れず追い返したしたことがある。
それまでは薬剤師さんが来て服薬状況(薬をきちんと飲めているか)を確認していた。
うちの親はそれが気に入らなかったようだ。
ケアマネージャーさんから伝えられ、ほんとうに驚いた。
外食しても「松・竹・梅」ならいつも「松」で、買い物に行けば「普及品よりもブランド品」だった人が、
たった二百円のことでトラブルを起こすなどとは、意外だ。
まるで別人、やはり認知症のせいなのだろうか。
少しもお金に対する執着心がなかった人だったのに。
もう一人のほうも同じく、「発症してからケチになった」と思わせるできごとが何件もあった。
本人にとって「孫たちの誕生日のお祝い」や「孫たちの入学祝い」は特別だったようで、かなりの額のお祝い金を包んでくれていた。
発症して二年ぐらいの頃、最年少の孫が大学に入学したのだが、認知症だからか「入学祝い」は無視。
おそらく「孫が大学に合格してよかった」という意識すらない。
そのことが記憶に残っていないのかもしれない。
ほかの孫たちと公平にするべきだから、
「入学祝い、いくらにする?」とたずねると、「五千円」だと言う。
記録を見ると、三年前の高校入学のお祝いは三万円だった。
「もらったほうも開けてがっかりするだろうな」と思いながら、祝儀袋を用意した。ないよりはマシだから。
さて、うちの親二人が二人とも「元々の性格と正反対の」ケチになったのは認知症のせいなのだろうか。
一つ考えられることは「不安感」だ。
認知症の人は極端に不安感が強いので、
「お金を使ってしまうとなくなる」という不安が大きく、
そのために「お金を使う」ことを拒否するのかもしれない。
その結果「お金に執着する」ように見えるのだろうか。
その後のことだが、「どケチ」も一時的なことだった。
二人とも認知症が進むと「お金への執着心」は消えた。
一つ一つ消えていって、終末期には「生きることへの執着心」も消えていくのではないかと思っている。
<That's Ninchi Show 2 No.1305>