これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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ケアラーへの支援は。。

ケアラーの権利は守られるだろうか。

介護する側の人をケアラーと言うが、介護問題においては「介護される人」が主役で、ケアラーは考慮されることが少ない。

老人介護、特に認知症介護ではケアラーに過大な負担を強いることがほとんどという現状だ。

精神的なものから、身体的なもの、経済的負担だってある。
だが、「ケアラーへの支援」というのは言葉だけしか存在しない。

「介護される人」については、少しづつ支援が拡充しつつあり、未来に向けて介護のあり方が変わろうとしている。

これまでのように「健康で長生きする」ためだけでなく、
生活の質を保ち、個人個人で、

「その人らしく生きる」ための介護が目標とされるようになった。
尊厳を守り個性を尊重し、最期までその人らしく生きるようにと。



これにひき続き最近では介護学研究者などにより「ケアラーの権利の擁護を」と言われるようになってきた。

介護のために失職したり、転職を余儀なくされ賃金など不利な条件での労働に従事せねばならなくなることは多い。

「働く権利」は少しも守られていない。

また、たった一人で在宅介護を担う場合などでは「社会参画の権利」は失われやすい。社会と隔絶されて孤立、そういう問題もある。

そして「健康で暮らす権利」も守られていない。

一人で在宅介護となると、介護する側(ケアラー)は仮に病気になってもすぐには病院に行くことが難しい。

入院治療や手術などの場合はなおさらだ。
一時入所の施設を探すのが簡単ではないから。

このように単に健康で長生きしてもらうためだけの介護であっても、ケアラーは犠牲的な介護を要求されているのが現状だ。

自らの健康を害するような犠牲を払わねばならない。

「介護される人」が健康で自分らしく個性的に生きるようにするためには、より多く介護する側(ケアラー)の犠牲的介護が必要となる。

そんなことが可能なのだろうか。

ケアラーへの支援を充実させ、ケアラーの権利を守るような社会構造になれば可能だということだろう。

学問研究の場では常に現状よりも先を見ているため、将来的にはそのような理想的な社会になれるのかもしれない。

そう簡単に経済優先の日本社会が変われるだろうか。
難しいような気がする。


<That's Ninchi Show 2 No.1277