認知症、寝たきりのほうがラクだろうか。。
寝たきりのほうがラクだろうか。
親が認知症になった時、そんなことを思った。
初期の頃はそれはもう言いようがないほどの苦労があったからだ。
必要のないことで頻繁に電話をかけまくるので、家族だけでなく関係者多数に何度も何度も迷惑をかけた。
家族の勤務先を初めとしてご近所やら親戚や友人知人など、また病院や銀行、警察や消防まで被害はあちこちに及ぶ。
一人暮らしだったので火事の心配(お鍋を焦がしたことも何度もあった)や徘徊による事故の不安もあった。
こんなことなら「いっそ寝たきりのほうがラクなのでは」と思うこともあったし、家族も口々にそんなことを言い合っていた。
少なくとも「他人様に迷惑をかけること」がなくなるからだ。
家族にそう思わせるぐらい、言葉を選ばずに言えば「きちがいばあさん」が自由に歩き回ることへの不安感は大きかった。
さて、ほんとうに寝たきりとなった今はどうだろうか。
「寝たきりのほうがラク」だっただろうか。
確かに他人様や近隣社会に迷惑をかける心配は皆無だが。
食事をとることから排泄まで全てを世話しないといけないという点では「介護がラク」とは言えず、全く逆だ。
「何もしゃべらない」し「痛くても暑くても寒くても無言」だし、家族を見ても無表情という状態は「介護がラク」ではない。
「どこか痛いところはないのか、身体に不調はないのか」と常に本人に代わって考えておかねばならず、少しもラクではない。
そして、家族の気持ち、精神的にどうかという「心がラクかどうか」についても同じようなことが言える。
そのような状態の本人を見るにしのびないのは「きちがいばあさん」を見たくない時と同じで、少しもかわらない。
家族にとって「寝たきりのほうがラク」だとは言えない。
「隣の芝生は青い」というが、当事者以外の人からはそう見えているだけで、何事も当事者にならないとわからないものらしい。
歩き回る「きちがいばあさん」の家族だった時には、「胃ろうで寝たきりで無言無表情の老人」の家族の気持ちは想像できない。
だから「寝たきりのほうがラク」などと言ったりするのだろう。
同じ苦労が続くなら寝たきりにしないでおくのが本人のためだ。
家族にとって「寝たきりのほうがラク」ではないのだから。
<That's Ninchi Show 2 No.1276>