年をとるごとに痛い所が増える。。
年を重ねると痛い所も増える。
年をとり、身体が老化してくると必ずどこか一つぐらいは痛い所があるものだ。
「痛いのは生きている証拠」と言われてきたが、若い人にはそのほんとうの意味がよくわからないだろう。
身体をぶつけたり、転んだりしてケガすれば痛いが、それは何日かのことでじきに治り、治れば痛くないので、
「痛くない」日がほとんどだからだ。
これに対して老人は毎日だいたいどこかが痛むので「痛い日がほとんど」となり、若い人と違ってすぐには治らないから、
老人にとっては「生きている限り痛い」ということになる。
痛みをガマンして生きているのが老人だ。
五十歳になった頃、ようやくそれがわかった。
五十代も半ばを過ぎ、六十歳が近づいてくるとそれだけではないことに気づいた。
年を重ね老化が進むと痛い所が増えてくるようだ。
毎日どこか一つ痛いだけだったらまだしも、二ヶ所や三ヶ所、ひどい人は頭から足の先までそこらじゅう痛い所があって、
一つ治ればまた一つ別の所が痛むようになり、二重苦や三重苦から解放されることはない。
年寄りが集まると口々に「ここが痛い、こっちも悪くなった」と、まるで「痛い所自慢」でもしているかのようで、
そういう光景を見かけては「それぐらい何だ。他に考えることはないんだな、お気楽なものだ」と思っていた。
大変な思い違いをしていたようで、申し訳なく思う。
若い人の前では「痛い」と言わずにガマンして、同じ悩みを持つ老人たちだけの時には思いっきり「痛い痛い」と言いあって、
お互いのストレスを解消していたのだろう。
若い人は「老人の痛み」をわかってはくれないからだ。
自分が同じような身にならないとわからないことなのだろう。
老人がイライラしたり、すぐ「きれる」のも、当事者ではない若い人には理解できないことの一つだ。
老化により前頭葉の脳細胞が減少したり、働きが悪くなったりしたせいかもしれないが、それに加えて
老人にはガマンすることが多すぎるからでもある。
さて、自分の祖父母はどうだったかと思い出してみると、
イライラもせず、「痛い痛い」というグチも言わずだった。
いつも痛み止めの頭痛薬などを飲んでいたし、いつも貼り薬のにおいがプンプンしていたのだが。
働く嫁に代わって育児と家事一切を祖母が担っていたのに、
嫁の悪口どころか不満すら言わなかった。信じられないことに。
よけいなことを言わないのは、さすが明治生まれ。
そういう老人になりたいと思う。なれそうにもないが。
<That's Ninchi Show 2 No.1272>