認知症の人の「ありのまま」は。。
認知症の人の「ありのまま」は受け入れがたい。
あまりにも自分たちと違うから、違い過ぎるからだ。
見えているものも違えば、聞こえているものも違う。
きたない、冷たい、暑い、うるさい、まぶしい等の感覚も違う。
時には「今いる場所」や「今現在の時間や日時や季節」すら違う。
それらの前提条件が違ったら相互で共感などできるはずがない。
共感できなくても理解できればまだマシだが、それも難しい。
「なぜ言った通りにできないんだ」とか、「どうしてこんなおかしなことをするのだろう」とか理解できないことばかり。
何度も何度も時間をかけて丁寧に説明しても、認知症の本人は失敗を繰り返す。そのたびにイライラする。
こちらの意思は伝わらないし、むこう(本人)の気持ちだって何を考えているのかさっぱりでほとんど伝わってこない。
わからないからよけいに不安になり、少しも事態が改善できないことでまたイライラする。
これは「認知症の人のありのまま」を拒否しているからだろうか。
「なぜこんな簡単なことができないんだ」ではなく、「できなくて当然、これでいいんだ」と思い、
「何度も繰り返して言っているのに、なぜわからないんだ」ではなく、「わからなくて当然、これでいいんだ」と思うべきなのだろう。
認知症の人は一部の若年の人を除いて障害者とは認定されないが、疑いなく脳機能障害者だと言えると思う。
認知症の人を支える家族は突然「障害者の家族」となったわけで、「障害を受け入れる」という心の準備ができていない。
予想もしてなかった障害と、その障害のせいで起こる多くの異常なできごとに対して、「嫌だ。逃げ出したい」とは思っても、
「これでいいんだ」として全てを「受け入れる」などということがすぐにできるだろうか。
そんな状況を受容することは極めて難しいのだが、
その受け入れがたいことを受け入れることから介護は始まるらしい。
それが「笑顔で介護」への第一歩だと思う。
<That's Ninchi Show 2 No.1267>