徘徊をとめるのは難しいので。。
認知症の人の徘徊をやめさせることは難しい。
徘徊による事故が起きた時、世間は「家族は何をしていたんだ」と家族を責め、時には賠償などで責任を問われることにもなる。
そこには「家族には徘徊をとめられる」という世間(認知症の特性をよくわかってない人々)の誤った認識があると思う。
少しでも認知症の人と身近に接する機会があれば、家族や近所の人々がどれほどがんばっても徘徊を100%防ぐことはできないとわかる。
散歩に行くような時間ではない真夜中に出て行かれたり、鍵をかけても別の所から出て行ったり、防ぎようがない。
そこまでしても出て行くという意志の強さ、その裏側に何があるか(動機などの背景)を考えてみてほしい。
認知症の本人には徘徊は意味のないことではない。必要性があり、時には強い目的意識があってのことらしい。
普通の人からすると理由や目的もなく歩き回っているように見えても、本人にとっては「どうしても」という行動で、意味がある。
本人を不安にさせているような妄想が原因ならば、その困った状態を解決し安心するために。
また、慢性的に継続しているストレス反応に対処し、ダメージを軽減するためのストレスコーピング(適応行動)として。
そういう必要性が隠れているからこそ、家族がどんなに時間をかけて説得しても「全く言うことを聞いてくれない」という結果になる。
もともと「認知症の人を説得することはできない」ものだ。
世間の常識やルールなどの共通認識が消えていて、筋の通るように説明しても「論理的な意見の一致」を見ることはないし、
認知症の特性で「共感」もできなくなっていて、感情的な面に訴えても「情にほだされての合意」は望めない。
その上に「強い意志」があるとしたら、説得など不可能だ。
こういう難しい条件の下で家族にできることは限られる。認知症の特性を知らない世間の期待には到底添えない。
徘徊の付き添いはできるが、それも限定的で完全ではない。
徘徊をとめることは難しいので、「とめる」のではなく「しないようにしむける」ことしかできない。
本人が自ら「徘徊しない」ほうを選ぶように誘導する。
そのための「安心できる環境整備」こそが第一だと思う。
今いる場所が安心できるなら、わざわざ出ては行かないだろう。
家族には徘徊はとめられない。
だが、徘徊しないようにしむけることはできる。
本人の行動の裏にある「言い尽くせない無限の不安感」を家族が理解してあげれるかどうか、そこにかかっていると思う。
<That's Ninchi Show 2 No.1215>