徘徊、常同行動の一種の。。
常同行動の一つとしての徘徊もある。
「常同的周遊」と言われているが、「毎日いつも同じ場所をぐるぐる回って帰ってくる」ことのようだ。
「お年寄りの毎日の散歩」と違うのは、雪が降ろうが雷が鳴ろうが決まった時間になると誰が何と言おうと出て行くという点らしい。
常同行動というのは認知症に限らず脳障害ではよく見られるもので、「特定の行為を繰り返す」ことを指すそうだ。
同じものばかり食べるとか、同じ服だけを着るとかだが、手を振るとか足を振るわせる(貧乏ゆすり)など特定の動作も含まれる。
なぜ血流低下になるのだろうか。ストレスだろうか。
この常同行動を周囲の人が制止してはいけないそうだ。
禁止したりすると症状悪化につながるという。
暴力によってでも自分を貫き、家族の制止を無視して出て行くことだってあるらしい。
常同行動はストレス反応に対応するためのストレスコーピング(適応行動)の一種だという考え方もある。
日常的ストレスによるストレス反応の継続は心身を壊す。
しかし、認知症の人の日常はストレスだらけだ。
スポーツなどの運動でストレスが解消されるのと同じで、目的もなくぐるぐる歩き回ることでストレスを軽減させているのだろう。
認知症の人には「いつも家の中をあちこち歩き回る」例や、「いつも部屋の中でぐるぐる歩き回る」例があるそうだ。
場合によってはこれらもコーピングだとみなしていいのだろうか。
うちの親はこういうタイプの徘徊は(二人とも)なかったのだが、「靴をはいて室内を歩き回っている」という例は聞いたことがある。
この話を聞いた時は何年も前で「コーピング」を知らなかったので、「靴を手の届かない所にしまったらいいのでは」と思った。
よく考えてみたら誤りだ。靴がなかったら本人は大騒ぎして探す。隠すのではなく、室内用の靴を用意するのがいいのだろう。
このような「家の中での徘徊」や、「室内での徘徊」は危険性が少ないし、家族以外の他人へ迷惑をかけることもない。
もしそれでストレスが少しでも減っていて、「本人の気持ちがすっきりするなら」家族もガマンしがいがあるというものだ。
目の前でうろうろされたり、ぐるぐる歩き回られたりでウンザリだろうけど、家族としてはガマン、ガマン、そしてガマン。
それが認知症の人の「ありのままの姿」だから、どんなに嫌でもウンザリでもあきらめて側にいて見守るしかない。
うちの親のように認知症が進んで寝たきりになってしまったら、歩いていた頃は「まだマシ」だと思えるものだ。
そうは言っても「ありのままを受け入れる」ことは家族にとってかなり難しいことで、簡単にできるなら誰も悩みはしない。
家族ゆえの心の葛藤を克服できたら、介護はずっとラクになるし、本人のためにもなることは確実だろう。だが、簡単ではない。
できる人はできるし、最後まで「できない人」だっている。
それはそれでいいと思うのだが。
<That's Ninchi Show 2 No.1214>