これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

FC2ブログに引っ越しました。週一回か二回は更新しています。

認知症介護、身内だから特につらい。。

介護ストレスには「他人、短時間、期間限定」が鍵だと思う。

中でも特に認知症介護は継続が難しい。家族が追い詰められることが多く、重圧におしつぶされ、心身を壊すことになりやすい。

そうならないためには「他人」を巻き込むことが第一だろう。家族だけの「閉じられた介護」は絶対に避けるべきだ。

また「他人なら比較的介護しやすい」という特徴もある。

認知症の本人が「身内には特につらくあたる」のに、「他人には時には遠慮し気をつかう」こともあるからだ。

また、本人の言動のあまりの異常さを目にしても「身内はつらいが、他人ならどうということもない」からでもある。

これは家族など身内の者は本人との「心の距離」が近いために、客観的・合理的に見ることができないことによるのだろう。

言い換えれば「情」または執着心によって、「今の、ありのままの姿」を素直に受け入れることができなくなっていると思う。

「見るのがつらい」ようでは最後まで寄り添うことなどできない。

認知症の本人の側にいるだけで大きなストレスになり、介護の継続は困難になる。無理して続けると追い詰められて「崖っぷち」に。

もう少しで介護放棄やイライラのあまり手をあげるなどの虐待に到る、
そんな「崖っぷち」に追い込まれるのは特別な人だけではない。

では、身内が認知症になったらどうしたらいいのだろうか。
どうすれば「他人の目」で認知症の本人を見られるのだろうか。

先日テレビで映画監督の坂口さん(認知症の実母の介護ドキュメンタリー映画「抱擁」で知られている)が言っていたのだが、

ビデオカメラを通して母を見ることで救われたそうだ。

追い詰められて手をあげそうになった時に、ふとビデオカメラをのぞくと、そこには小さな守らねばならない母の姿が見えて、

それがほんとうの姿なのだとわかり、心が救われた思いだったという。

「どうして言うことを聞いてくれないんだ」とか「こんなこともできない」とかでイライラし、本人に怒りをぶつけそうになっていたが、

ビデオカメラの中の小さな姿を見て、怒りが消えたのだろうか。

坂口さんは「撮影するには、ある程度距離を置くから」と言っていたが、実際の距離だけではなく「心の距離」も関係すると思う。

実母が「映画の主役」として撮影対象になったから、「心の距離」が遠くなったのかもしれない。

「心の距離」を離すことで「他人の目」で見ることができれば介護ストレスも「他人と同程度にまでは」減少するだろう。

介護日記を書くことも「書きようによっては」同じような効果があると思う。できるだけ客観的に書いてみたらどうだろうか。

「つらく、くやしく、なさけない」できごとも、書いてみたら「そんなに悲しむことでも、そこまで怒ることでもない」かもしれない。

書いたあとで、イライラがおさまっていたら成功だ。
「心の距離」を離すことができたと言える。

よけいにイライラしたなら、書き方が主観に偏り過ぎたとして修正すればいい。もっと離れた所から再度見てみるようにして。

「他人の目」で見てみると心がラクになる。
心がラクになれば、心の余裕が生まれる。

心の余裕がなかったら、認知症の人を安心させることはできない。
家族にとって最初のステップは「他人の目」のような気がする。





<That's Ninchi Show 2 No.1213>