徘徊とは
認知症の人の徘徊をやめさせることは難しい。 徘徊による事故が起きた時、世間は「家族は何をしていたんだ」と家族を責め、時には賠償などで責任を問われることにもなる。 そこには「家族には徘徊をとめられる」という世間(認知症の特性をよくわかってない…
常同行動の一つとしての徘徊もある。 「常同的周遊」と言われているが、「毎日いつも同じ場所をぐるぐる回って帰ってくる」ことのようだ。 「お年寄りの毎日の散歩」と違うのは、雪が降ろうが雷が鳴ろうが決まった時間になると誰が何と言おうと出て行くとい…
妄想とは無関係の徘徊もある。 うちの親の徘徊は「家族に無視されて不安感が増し妄想が起きたこと」によると思われる。 なぜなら「サ高住」に転居してからは徘徊が消えたからだ。 認知症の人への常識的な対応すら知らない家族と違って、転居先の職員の人々は…
家族が徘徊をとめることは不可能に近い。 徘徊しないようにいつも見張っていても、徘徊しようとした時は一緒に付いて行くとしても、完全ではない。 家族は普通は深夜早朝は眠っている。その時認知症の本人も眠っているならいいのだが、そうでないことが多々…
場合によっては、徘徊の背景に妄想がある。 うちの親の最初の徘徊は最寄のJRの駅への往復だった。駅へ行く理由が全くないので「徘徊」とみなしていいと思う。 厳密には最初ではないかもしれない。当時は一人暮らしだったので、徘徊していても誰も気がつかな…
徘徊を防ぐために家族にできることは何だろうか。 なぜ出て行くのかという理由がわからないにしても、家が楽しくて安心していられる場所だったら出て行かないだろう。 家にいると「何もすることがなくて退屈で出て行く」のだったら、何か興味のあることを用…
徘徊を防ぐために家族は何ができるのだろう? 認知症の人の徘徊には理由があるようだが、それは家族など周囲の人々にはよく理解できない理由であることが多い。 認知症の本人の頭の中の世界と、家族など普通の人の世界とは時に「時間・空間」が異なり、共通…
徘徊とは、「あてもなくうろうろ歩き回る」ことだ。 それがこの言葉の元々の意味だが、毎日時間に追われている現代人には無縁の言葉だろう。そんな余裕がどこにある? ただし、無縁というのは家族が認知症になるまでに限られる。 認知症の人も、周囲の人から…
認知症は「わかりにくい」し、見えにくい。 初めて会う人などは「どこがおかしいの? 話し方も態度も普通だよ」と言うことがある。それほど外からはわかりにくい。 普通の領域と異常の領域とを行ったり来たりしているからだ。 いわゆる「まだらぼけ」という…