徘徊、道順を忘れて家に帰れないで。。
妄想とは無関係の徘徊もある。
うちの親の徘徊は「家族に無視されて不安感が増し妄想が起きたこと」によると思われる。
なぜなら「サ高住」に転居してからは徘徊が消えたからだ。
認知症の人への常識的な対応すら知らない家族と違って、転居先の職員の人々は誰も「無視」などというバカなことはしない。
疎外感や不安感が認知症を悪化させると知っているから、一時間に十回も電話で呼び出しても、笑顔で応対してくれた。
そういうわけで家にいるよりもサ高住のほうが安心できたのだろう。
だが、一般的には徘徊の原因はそれ(=不安感から出る妄想)だけではなく、記憶力の低下(空間認識力の減退)によることも多い。
一言では「自分のいる場所がわからなくなった」ということだ。
よく知っている場所なのに、十年も通っている診療所なのに、何十年も住んでいる家なのに、それが時には思い出せなくなる。
記憶データを引き出してくる機能が突如として消えた、そういうように理解したらいいのだろうか。
たとえば「毎日のように通院している整形外科から自宅までの道順」がある日突然わからなくなったとする。
診療を終えて帰ろうとするのだが、「徒歩五分の」家までの道がわからなくてうろうろして、いつまでたっても帰れない。
家の近くまで行くのだが、家にはたどり着けず、また別の方向に歩きだして、あちこちうろつき何時間も帰れない。
本人は家に帰るつもりなので「目的もなくうろつく」のではないが、事実うろついているから「徘徊」とみなされるだろう。
もしこれで事故にあったりしたら「こんな人を一人で通院させて、家族は何をしているんだ」と世間は思うかもしれない。
家族は何もわかってないのではない。「いつかは徘徊する」とは思っているが、それが「今日」だとは思っていないだけだ。
だいたい、一人で診療所まで行けたのに帰って来られないとは誰も思わないだろう。
本人だって思っていなかったはずだ。
家までの帰り道がわからないのに出かけるわけがない。診療所までの道を逆にたどれば必ず家に戻れる。
認知症では「時間、空間(場所の認識)、人(顔の区別)」の順にわからなくなると言われている。
時間の感覚がずれてきたら次は「場所」だとして、特に注意して見守ることが必要だろう。
「いつもの道でいつもの所だから、慣れているから」として認知症の人を一人にすることは避けるべきだと思う。
「まだ一人でだいじょうぶ」「まだ一人で近所までは行ける」という思い込みがいけない。
認知症の人の徘徊は突然来る、それをわかっていないと困った結果になるかもしれない。
空間認識力の低下による徘徊には打つ手はいくらでもあると思う。
「家族など周囲の人の配慮があれば」という条件が付くし、簡単ではないが、徘徊による事故死を防ぐためだから。
こちらも家族にかかっていると言える。
家族の対応一つで認知症の本人の今後が決まると言っていい。
家族のいない人や、家族に頼れない人はどうなるのだろう。
いつも最後はここだ。この疑問にたどり着くのだけれど。
<That's Ninchi Show 2 No.1211>