これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症の人を無視すると。。

家族に何ができるのだろうか。

認知症は医師でも治せない。悪化(進行)を遅らせると期待した薬は効いているのか効いていないのか不明、顕著な効果は見えない。

脳を活性化すると言われる運動療法音楽療法やリハビリも、発症前には効果が見られても発症後は話が別だ。

介護職の人々は「現状維持が最大のリハビリ目標」だと言う。
今できることができなくなる、その流れは止められないと。

そんな八方ふさがりの状況でも、家族は「何とかして良くなる方向に」と思い、努力する。家族だから。

できるだけ時間をとって認知症の本人と話し、散歩などに連れ出して脳を刺激すれば悪化は抑えられるかもしれないと、努力する。

努力すれば一時的に良くなったように見えることがあるが、ある日突然「認知症が一段階進んだ」と思わされる日が来る。

努力は報われない。

認知症が悪化するのを見ているだけで、何もできない」という無力感や、「自分の接し方が悪かったから?」という劣等感も湧く。

認知症の本人と話をしたり、一緒に外出したりすることは家族にとってはある意味で苦痛だ。大きなストレスになる。

一般には理解できないだろうが、たとえればエイリアンとの会話、それぐらい通じ合うことがなく、共感や共通性に乏しい。

一緒に外出すれば「他人の目」もある。大声を出したり、おかしな行動をしたりしないかと緊張する。どっと疲れる。

それらをガマンして耐えに耐えて、自分を騙し騙し無理して来て、結果として何も報われないのだったら、やらなくても同じではないか。

そんな風に思った時期があり、一時期は「本人を無視、無言の介護」でストレスから自分を守っていたことがある。

「世話することさえできればいい。世話しなければ生きていけないから」というもので、悪く言えば「動物の飼育」と同じだ。

本人の話すことは「聞きたくもないグチ、悪口、被害妄想(つくり話)」なので、聞こえていても聞こえなかったことにして無視。

または、手を動かしながら適当に「なま返事」して、効率良く洗濯や掃除などの「生活介護」を終わらせ、さっさと帰る。

結果はどうだったか。

自分のストレスは減り、効率良く時間を使えたが、無視された本人のストレスが増えて認知症は悪化した。

介護の基本はどんな状況でも「人として尊重して接する」ことで、このような「動物の飼育」のような方法は介護とは言えない。

「介護放棄」の一歩手前で、本人にとっては迷惑、こんな家族の介護よりもプロの介護士訪問介護のほうがずっといい。

訪問介護のヘルパーさんは手を動かしながらも、笑顔で本人の話を聞き、あいづちを打ってくれる。

うちの家族にはできないことだ。
自宅での在宅介護は無理だと思った。

家族の努力は報われないが、家族の誤った対応によって認知症は悪化する。本人のこれからも「家族のありかた」次第だ。

「家族には何もできない、認知症の悪化を見ているだけ」と思っていたが、家族にできることがないわけでもない。

認知症の悪化を抑制するには、本人のストレスを減少させればいい。
本人が安心して暮らせる環境を用意する、それだ。


各自の条件によって「最も安心できる環境」は違うから、自宅での在宅介護でもいいし、施設介護でもいい。

本人ができるだけ安心して暮らせる環境を考え、手配する。
そして最後まで本人の側にいる。

それが家族にできることだと思う。






<That's Ninchi Show 2 No.1185>