認知症の人に「普通」という枠は。。
認知症の人に「普通は~だから」も「普通なら~する」もない。
認知症の人の行動や発言は、普通ではない。どこかわからないけれど脳が壊れているから、しかたないことなのだろうが。
たとえば、大事なこと(重要なこと)はできないのに、どうでもいいこと(余計なこと、迷惑なこと)はできる。
「薬をきちんと飲む」とか、「身体に異常があったら、緊急ブザーで誰かを呼ぶ」とかはできないが、
「薬を飲まずに捨てる」とか、「つまらない用件で、あちこちに電話をかけまくる」とかはできる。
普通なら「つまらないことはさておき、大事なことだけはできる」ものだから、全く逆の現象に遭遇して驚く。
介護する側から見たら、何もできないほうがずっとラクに介護できる。
また、大事なことは覚えていないのに、どうでもいいことや忘れたほうがいいことは、なぜか覚えている。
「予約したので、九時に病院に行く」ことは忘れていても、前日に息子と口論になって「くそばばあ」と呼ばれたことは覚えている。
普通なら「つまらないことは忘れても、診療予約という大事なことだけは覚えている」ものだ。覚えておこうと心がけるから。
ここでも、全く予想外のことで常識とは逆の事態に驚く。
あまりにも記憶力低下が激しいと、家族は腹が立った時など「どうせ覚えていないから、何を言ってもいいや」と思うこともあるが、
絶対に言わないほうがいいし、大声で責め立ててもいけない。
海馬がやせ細って記憶力が低下していても、嫌なこと、また不安や恐怖を感じたことは別ルート(扁桃体)で記憶されるらしい。
記憶できないのなら、何もかも記憶できないほうがマシだ。
そのほうがずっと介護しやすい。
こういう「普通ではない人」を介護するには、こちらとしても「普通」という枠を外して柔軟な考え方を持たねばならない。
普通の枠の中で「常識的に」判断して、普通に生きてきた者にとっては大変難しいことだ。
<That's Ninchi Show 2 No.1161>