これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症、本人の見える世界を尊重。。

一人ひとり「見える」世界は違うらしい。

目に写る景色と、「見えた」として自覚する景色とは厳密に言えば同じではない。

目から入ってきた情報は、脳に伝達され、過去の情報(記憶データ)を使いながら、「眼前の景色」という画像に組み立てられる。

個人個人の脳が作成した画像が「見えた」と自覚される画像だ。

途中の経路に支障があったり、脳の視覚処理中枢に不具合が生じたりすると、できあがった画像は現実とは違ったものにもなる。

親が認知症になる前まで、そんなことを思ったことはなかった。

目の前にあるリンゴは誰が見てもリンゴだと思っていた。
「リンゴを見ても、リンゴに見えない人がいる」などとは。

認知症だと人によっては幻覚があるそうだ。

現実には存在しないものが見える「幻視」や、現実には存在しない音が聞こえる「幻聴」のことだ。

幻視は蜃気楼のようなはっきりしないものではなく、くっきりとした現実感のある映像で、本人も現実だとして疑わないらしい。

この「幻」という漢字に惑わされて「何かモヤモヤとした人影のようなもの」が見えるというように思いがちだが、そうではない。

過去の記憶ファイルの中から画像データを抽出して、それを材料として脳が勝手に作り出した映像だという。

認知症の人と一緒にいる時、同じ時間に同じ場所にいて同じ景色を見ていると思わないほうがいい。

普通の人の世界では、多くの人が特定の時間や場所や景色を「共通のものとして認識できる」が、認知症ではそれができないから。

「同じ場所にいても、見えているものが違う」から、共感できないことばかりで、意思の疎通も難しい。

認知症の発症後は、長いつきあいの親でも何を考えているのかわからないし、言うことは聞いてくれないし、まるで宇宙人に思えた。

宇宙人に思えるぐらい、脳が変化してしまったのだろう。

認知症の介護は「本人の見えている世界を尊重する」ことが基本だそうだが、どういうように見えているのかわからないのが難点だ。

その基本に従えば、本人が窓辺で「隣が火事だ」と騒いでいる時に、無視してはいけないことになる。

「どこも燃えてないよ」と否定してもいけない。

では、どうしたらいいのだろう?
「今から消防署に連絡するから、安心していいよ」と言えばいい?

本人の「誰も共感してくれない」という寂しさや不安感が解消されればいい、そういうことだろうか?

臨機応変の演技力が必要だ。誰にでもできることではないようだ。
できない人はどうすればいいのだろう?

否定と無視は避けねばならない。
残るは、「繰り返し」だろうか。本人の言葉をそのまま復唱する。

「隣が火事だ」と言ったら、「隣が火事だね」と。

その間に別の話題をみつけて、気をそらす。
または適当な理由をみつけて、窓辺から移動させる。

これでどうだろうか?

親が認知症になった時、うちの家族は「否定と無視」ばかりだった。
知らなかった事とはいえ、申し訳ないことをしたと思っている。



             <That's Ninchi Show 2 No.1137>