認知症、他人だと思えば。。
「他人だと思えば」ラクになるのだろうか?
家族による認知症介護が困難な理由の一つに、「家族だから・・」という点がある。精神的ダメージが違うからだ。
認知症の人は「普通ではない」から、世話する側の人に必ず何らかの迷惑をかける。度合いは軽いものから深刻なものまであるが。
世話しながら嫌な思いをする、それが認知症の介護だ。
「おかしくなった親」を見ているだけでも嫌なのに、暴言や暴力があれば、精神的に痛めつけられ、なかなか立ち直れない。
同じ条件であっても、他人なら「ここまで苦しくはない」し、どんなに衝撃的でも心理的な傷を延々と引きずることもないだろう。
では、他人だと思って世話すればラクになるのだろうか?
認知症を発症して別人のようになり、見た目も違う。行動も、話すことも、話し方も全然違うなら、そう思えないこともない。
「他人だと思い込む」ことでラクになるなら、試す価値はある。
精神的に弱った時、人は神に祈り、仏にすがる。そのために宗教があり、今もすたれずに残っていると思う。
この世に神も仏もいないのに、なぜ宗教で救われるのだろう?
神仏に祈れば心がラクになるのは、たぶん「思い込み」による。
ご加護があるから困難を乗り越えられる、そう思い込む。
実際は自分自身の心、自分で自分を救っているわけだ。
「神は自ら助ける者を助ける」というが、実はこのことだろうか。
「思い込み」の威力、案外すごいかもしれない。
宗教まがいのサギ商法で買わされた「神様の水」を飲んで元気になる人が稀にいるのも、思い込みだ。自然治癒力に過ぎない。
「これで元気になる」と思って飲めば、その思い込みで自然治癒することもあるだろう。
それなら介護ストレスの軽減にも「思い込み」が使えるだろうか?
「もう母はいない」「この人は母じゃない、他人」というように何度も心の中で自分に言い聞かせ、そう思い込ませればいい?
みんながみんなというわけにはいかないだろう。演技力と同じで、「思い込み」も個人差があるので。
うちの家族の場合は効果が少しだけあった。
遺伝的になのか、思い込みの強いメンバーだったようだ。
思い込みは強いが、バカ正直で演技力は全くない。
演技力がないので認知症の介護は難しかったのだが。
それでも何とか十年近くも継続できている。
在宅介護ではなく「施設にいるから」かもしれない。
うちの家族、たった一例だけを見てどうのこうのとは言えない。
特殊な例、稀なケースだとすれば。
場合によっては「他人だと思えば少しはラクになる」こともある、
とだけは言えるだろう。
<That's Ninchi Show 2 No.1135>