がんばらない介護で持続できれば。。。
ずいぶん前から「がんばらない介護を」と言われている。
これを聞いて、「そんなことできる?」「がんばってもがんばっても思うようにできていないのに」と思ったことがある。
認知症の介護という難しい仕事は、お気軽に(テキトーに)できることではないから、がんばるしかないではないか。
「難しい上に、少しも楽しくない」というもので、嫌気がさすのをガマンして続けるというのは、まさに「がんばる」ということだ。
「がんばってみても自分にはできなかった」ことも多く、「一時的にはできても、ガマンが続かずできなくなる」ことも多い。
腹が立っても嫌な顔をせず、気持ちは焦っていても「ゆっくりでいいよ」と落ち着いて待っているなど、いつもいつもできるものか。
丁寧に何度も説明しても少しも理解してくれない相手に向って、イライラして大声で指図したり、とがめたりすることもある。
本人への命令や叱責は絶対に避けねばならないと知ってはいても。
「わかっていて何でできないんだ」と反省し、できていないことで自分を責め、「もっとがんばらないと」と思う。
「笑顔で介護」というのが目標だ。達成するまでがんばろうと思う。
では「がんばらない介護を」というのは、「できてなくてもいい」という意味なのだろうか。
確かに「がんばってもできない」のなら、がんばらなくていい。
「がんばってもできない」ことで、よけいにイライラして心の余裕を失っていたら、ますます「笑顔で介護」は遠のく。
自分のできる範囲だけ、そこだけをがんばればいい。それだろうか?
「がんばらないことで余裕を残して、持続させる」ことが、家族には求められていると思う。
認知症の人は不安感が強い。一人にすることは避けねばならない。
誰かが「いつも側にいる」ことで安心できる。
「最後まで傍らにいて見守り、安心させること」が家族の務めだ。
そうできるなら、もうそれだけでいいのではないだろうか。
<That's Ninchi Show 2 No.1128>