親の恩と、認知症の介護は。。。
恩を返すといっても、限度がある。
「育児は親がする」のが当然で、親が年老いたら「子が介護する」のも当然、「施設に預けるなんて考えられない」とする人がいる。
そういう人々は「施設はかわいそう」と言い、「育ててもらったのに、(恩返しもしない)冷たい娘・息子」とも言うだろう。
「育ててもらった恩」があるから、親の介護は「子として当然のこと」というのは正論だ。異議はない。
しかし、それが言えるのは一般的な老人介護だけだ。
認知症の介護は「子として当然のこと」の範囲を大きく超えている。
困難さを言えば、誰にでもできることではない。
「育児の苦労=介護の苦労」だと思っている人がいるようだが、実際は「育児の苦労≦介護の苦労」だろう。
子供が育っていくのを見れば「達成感が得られる」が、衰弱に向って行く親を見ているのは「達成感はなく、つらい」だけ。
親が認知症だったら、なおさらだ。
「育児の苦労<認知症介護の苦労」だと思う。育ててもらった恩と同等ではなく、ほとんどの場合で「おつり」が来る。
子が成人するまでの二十年(親の苦労)と、親が認知症を発症してからの二十年(子の苦労)とが同じであるはずがない。
「介護は三年から五年」という認識が一般的なようだが、「認知症の親の介護を二十年」という例もある。
恩を返すといっても限度がある。
限度を越えてがんばるよう要求されても、無理なものは無理。
「かわいそう」でも施設に行ってもらうしかないだろう。
認知症を知らない人が「施設はかわいそう」などと言うかもしれないが、気にしない。
当事者にならない限り理解できないことが多いが、これもその一つ、「人は人、自分は自分」でいいと思う。
<That's Ninchi Show 2 No.1121>