これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症の親に忘れられると。。。

「親に忘れられる」のは確かにつらい。

昨夜、ふとテレビをつけたら「ペコロスの母に会いに行く」という映画が流れていた。認知症の母を中年の息子が介護する話だ。

実話を元にしてあり、原作者があちこちで取材を受けていることから概要はわかっていた。原作を読んだことはないが。

うちの家族は皆「もう認知症はウンザリ」なので、「何でこんなの見てるの」と言って自室にひきあげ、ほとんど一人で見ていた。

タンスの引き出しを開けると、ぎっしりつめこまれた「汚れたパンツ」があふれ出た場面では、さすがに見るのをやめようと思った。

もう認知症はうんざり、その通りだ。

そういう「見たくないもの」を、これでもかと次々と見せられた記憶がよみがえる。思い出したくもない。

認知症の母に忘れられた」と嘆いている場面もあった。

確かに、そうだ。友人や親戚と違って家族は特につらい。身近で世話してきたから、「他の人はわからなくなっても自分は」と思う。

「これだけ世話しているのに」という気持ちも幾分あるから、忘れられるとよけいにショックが大きい。

「息子だとわからない、息子の顔が認識できない時が来る」と思っていても、いざその場になると誰でも動揺するだろう。

「自分の存在が消えた、親の記憶の中から消えた」と思うから。

しかし、実際は消えてはいない。消えたのではなく、今の「この一瞬だけ」思い出せないだけ、そう考えれば少しショックは薄れる。

思い返せば、施設に面会に行って似たようなことがあった。

「どうやら娘だとわかってないみたいなのですが」と施設スタッフに言うと、スタッフが何とかわからせようと気をつかってくれた。

「娘さん、来てくれてよかったですね」と本人の耳もとで、それでも反応がないと、何回も大声で「娘さん、む・す・め・さん」と。

すると反応があった。「娘の○子、大阪にいるよ」と。

顔はわからなくても、名前や住所は正しく言える。
存在が記憶から消えたわけではなかった。

いくら認知症が進んでも、家族の記憶は消えない。
根拠はないが、そのように思う時もある。

今は思い出せないだけ、そう思っていればいい。



                                <That's Ninchi Show 2 No.1113>