匿名の発信は信じられないのだろうか。。。
「匿名だから」事実ではない?
保育園に入所できず仕事ができなくなった人のネット上の発言に対して、国会での総理を含む先生方の対応が問題になっている。
「匿名だから信憑性が」と一言で突き放し、「国民の側にいない」ということを世間に示し、政治不信をつのらせて終わった。
匿名だからウソだとは限らない。一般庶民でもわかることだ。
本来ネット上の情報は玉石混交、ウソもあれば真実もある。
それを見極めることが現代人には求められているはずだ。
多くの雑多な情報の中から真実を見出すだけの才覚が、日本のトップに立つ人々には備わってないのだろうか。
「保育園落ちた」という日本政府への怒りの投書は、匿名だからといって軽視したり、無視したりしていいものではない。
多くの人の怒りが凝縮されたものとみなすべきだろう。
保育園に入所できない人が少なくないのは事実だから。
国民性かどうか知らないが、声をあげない人のほうが圧倒的に多い。
「匿名だから発信できる」ということもある。
誰でも随時言いたいことが言える社会ではないし、「匿名だから本音が、ほんとうのことが言える」という場合もある。
「匿名だから信憑性がない、信じられない」というのなら、今ここで書いていることも「匿名だから」信じられないことになる。
何年もかけて大ウソ(でたらめ・ありもしないこと・虚偽)を連日発信してきたと思われているとしたら、
「そうではない」と声を大にして言いたい。
ここには「こんなに上手に介護できました」という自慢話は一つもない。匿名だから事実を曲げて自慢話にしてもいいのだが、
逆に「失敗だらけの介護」体験と、自分の無知をさらしただけだ。
匿名だからこそ隠しておきたい事実をそのまま発信していられる。
他人の失敗談は別の人にとっては成功の素になると思って。
また同時に、自分の無知ゆえに陥ってしまった「ひどい状況」により、どれだけ親から苦しめられてきたことか。
これから認知症の家族を介護する人々が、自分と同じ失敗を繰り返すことがないように、ただそれだけを願って発信してきた。
親を苦しめたり、親から苦しめられたりして、亡くなったあとまで憎しみが残るようなことにならないように、それだけだ。
「匿名だから真実が言える」こともある。
<That's Ninchi Show 2 No.1111>