老人施設の利用料と、平等意識。。。
日本人は「平等」「みんなと同じ」を好むようだ。
割高な利用料にもかかわらず、スマホの普及率が高いのは「みんなが持っているから」で、使いこなせていない人も多いらしい。
そういう人は「宝の持ちぐされ」だが、持っているだけで「みんなと同じ」という安心感があるから、満足する。
この国民性は裏返すと「不平等・不公平を嫌う」という一面を持つ。
また「みんなと違う」行動や、「みんなと違う」意見に対しては受け入れようとしない。「出る杭は打たれる」社会だ。
「みんな同じ」を重視する社会が、ほんとうに平等なのだろうか?
うちの親が入居している老人ホームは全室個室だが、同じ広さの部屋代は同額、食費も普通食なら同額だ。
細かくきざんだキザミ食やソフト食、流動食は少し高くなる。
これに介護保険サービス利用料(個人負担分)が加わるが、これも介護度が同じなら同額。(ただし、一割負担の人には条件がある)
費用は同じ額でも、入居している老人の収入には大きな差がある。
うちのように年金が少なくて、息子や娘が仕送りしないと毎月の支払いができない人もいれば、年金だけでまかなえる人も、余る人も。
福祉先進国のように「年金の八割を老人ホームに払う」という制度にすれば、どうだろうか?
年金収入の多い人は「損」「不公平」「不平等」だと嫌がるだろうが、そうでない人は家族の負担が減り、心がラクになるだろう。
財産や高額な年金収入がある老人も、毎月三万円しか年金収入のない老人も「同額」の利用料を払うのが、「公平で平等」なのだろうか。
「収入に合わせて適切な金額を支払う」ことも、大きな意味では「公平な制度」と言えるのでは?
支払う金額は個人個人違っていても、受けるサービスは同じだから「公平」で「平等」と解釈してもいいだろう。
それぐらいの意識改革がなかったら、収入の低い老人が入居できる施設を増やすことはできないと思う。
金持ちしか入居できないようでは、「一億総活躍社会」などあり得ないのだが、何か手はあるのだろうか。
日本人の平等意識だって変わっていくと思うのだが。
<That's Ninchi Show 2 No.1101>