認知症の介護に苦しんで。。。
「介護に疲れて」というより「苦しんで」の結果だろう。
認知症の介護は誰にでもできるものではない。できないことを無理して続けた結果、自殺や「介護殺人」に追い込まれる人がいる。
それを新聞などの報道では「介護に疲れて」と表現しているが、これには違和感がある。「疲れ」だけ? そんな軽いものではない。
認知症介護の厳しい現実を知らない人は、これを聞いてどう思う?
「疲れたら休めばいい。何も殺さなくても」とか、
「自殺するほどのことだろうか?」とか。
多くの人は「ほんとうの意味は」理解できないだろう。
いわゆる「介護疲れ」の実態を、世間の人は想像もできないからだ。
「自分を殺すか、認知症の本人を殺すか」という道しか残されない、それほど追い詰められた人の気持ちを想像してみてほしい。
この苦しみから逃れるには、この苦しい状況を「少しでも早く終わらせるには」他に方法がなかったのだろう。
「そういうことをするのは特別な人、普通の人はしない」と世間は思うかもしれない。だが、誰でも状況によってはそうなる可能性がある。
「一歩踏み外せば」という崖っぷち、それを自覚して踏みとどまる。
そういう状況はそんなに珍しいことではない。
殺人や自殺には至らないまでも、介護疲れが重なって自分を見失って、介護放棄や老人虐待に至る例はざらにある。
特別な人ではなく、普通の人が「みんなが自宅介護しているから、自分も」とガマンし努力した結果、自分が壊れてしまう。
介護ストレスによって、心が壊れ身体も壊れる。自分がつぶされてしまう前に、この状況から逃げ出す方法を考えねばならない。
だが、それを考え実行するという意欲すら残らなかったらどうなる?
ストレスに強い人だけが生き残る、それぐらい過酷な環境だということを世間は知らない。知らないから、何の支援もないわけで。
認知症の介護は「家族愛や責任感」があればできるものではない。
介護に適した能力があり、経済面や周囲の協力など環境条件に恵まれ、なおかつストレスに強い人だけができる。
「誰でもできる」という思い込みは捨ててもらいたい。
<That's Ninchi Show 2 No.1056 >