これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症介護の個人負担は重いから。。。

ここ数年で「要介護老人」が格段に増えたような気がする。

わが家は千里ニュータウンに位置しているので、60年代や70年代に越してきた人々が多く、かなり高齢化率が高い地域だ。

現在、その古い団地が次々と建て替え中で、一年中あちこちで工事車両が走り回っている。これが終わると若い住民が増えるはずだ。

工事車両の増加と同様に、デイサービスの送迎車両の往来も増えてきた。ここ数年、特に増えたと思う。

スイミングスクールや進学塾の送迎バスなども来ているが、たまにしか見ない。少子高齢化の典型というような地域だ。

スクールバスが少なく、介護施設の送迎車が多い。子育てに使う費用は減少し、老人介護の費用が増加していることの現われだろう。

スポーツジムや学習塾の中には、時代に合わせて「老人用にシフト」し
デイサービス施設に転換する所も増えている。

教育から介護へ、教育費よりも介護費、そういう風潮らしい。

子育てが終わった世代なら、「子育て費用から介護費用へのシフト」もあるが、現在子育て中の世代はそうはいかない。

晩婚化や高齢出産の増加、また若年性認知症などで「子育てと介護が同時に」という例も今では少なくないらしい。

今の日本社会は子育ても介護も「社会」ではなく、「家族、個人」が負担するものだから、二つも重なるとどれだけ大変なことだろう。

これからの日本を支える人を育てる「教育」と、これまで日本を支えてきた人に報いる「介護」は、本来は「社会」が負担すべきものだ。

残念なことに、今の日本は「社会の力」が弱く、「個人の力」で何とかその場をしのいでいる。ぎりぎりの所で踏ん張っている状態だ。

これからもそういう傾向は続くだろうが、それでいいとは思えない。

他人の子も、他人の親も合わせて「みんなで支える」という方向にできたらいいのだが、難しいのだろうか。

誰かが社会を変えてくれると期待する時代ではない。何度も期待しては裏切られたはずだ。あてにして待っているだけではいけない。

「誰かが」ではなく、自分が動く。一人一人が動いていけば、変わる。小さな波も集まれば大きなうねりとなるから。

親が認知症になった時、誰か一時間でもいいから代わりに見に行ってくれる人がいたらと思っていた。

少人数の家族だけでは24時間の見守りは無理だ。

そういう家族には「娘さんがいるから、だいじょうぶ」とか、「余計なお世話かも」とか思わないで、ぜひ手を貸してあげて欲しい。

認知症の親を見られて恥ずかしい」とか、「本人が嫌がるだろう」と遠慮している人もいるが、そうとも限らないから。

発症してすぐの頃はそうかもしれないが、じきに気持ちは変わる。

また、認知症の本人は自分が認知症だとは思っていないから、「認知症になった姿を友人に見られて恥ずかしい」とは全然思わない。

家族以外の人々の手、地域社会の力が加われば、多くの「認知症の人を介護する家族」が救われると思う。


            <That's Ninchi Show  2 No.1025>