これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症介護の苦労で得たものは。。。

苦労しても、得たものが大きいなら報われる。

若い時に苦労した人ほど、人間的に成長できて各分野で活躍する人になれると言われている。若い時の苦労は「こやし」ということだ。

親が認知症になって、一言では表現できないほどの苦労があった。認知症の親を持つ人でないとわからないと思う。

だが、これだけ苦労しても人間的に成長できたとは思えない。この苦労から得たものは何もない。時間と健康と貯金を失っただけだ。

若年性認知症の親を持つ人は別として、認知症の親を介護するのは40代50代からで、この苦労は「若い時の苦労」ではない。

苦労をバネにして飛躍するような、そんな余力は残っていない。

この苦労は何の「こやし」にもならない。親を看取ったあとで介護の仕事に就く人なら少しは役に立ったと言える、それぐらいだ。

「できるだけのことができた」という自己満足すらない。失ったものは多くても、自己満足でもあれば救われるのだが。

認知症は治らないし、原因も治療法も定かではない。そういうことから、わけのわからないままにオロオロしているだけで時が過ぎる。

「どうすべきか」もわからず、悩みに悩んで「こうしよう」とすると抵抗され、最初から最後まで「できた」という達成感はない。

こういう苦労を子や孫には負わせたくない。家族だから当然という範囲を越えた苦労だからだ。一歩踏み外すと、家族の人生は終わる。

親が認知症になるまでは「ここまで苦しいものだとは」知らなかった。
どれほどのものか、経験しないことには理解できないと思う。

この苦労だけは避けるべきだ。年取ってから背負うには重すぎる。

まだ親が認知症になっていない人は避けることができる。「親を認知症にしない」という努力ができる。

認知症になってからでは何をしても報われないが、発症前の予防は効果が認められている。その努力は報われる可能性がある。

もし時間が戻るなら「親を認知症にしない」ことに最大限の力を尽くすだろう。何も知らず、無関心で過ごしていたことが悔やまれる。

年取ってからの苦労は何も得るものはない。


            <That's Ninchi Show 2 No.1008 >