胃ろうで寝たきりの親に会いに行って。。。。
会いに行っても眠ってばかりだ。
昨日は北大阪地方も今年一番の暑さ(34~35度)だった。その暑さの中、おばあちゃん(84歳、胃ろうで寝たきり)の施設に様子を見に行った。
会いに行っても、いつも眠ってばかりで目も開けないことが多く、「会いに行く」とか「面会する」とかいうよりは、「様子を見る」だけで終わる。
眠ってばかりで、ほとんど動くこともなく、胃ろうに栄養液を注入してもらって生きている。たまにしか言葉もない。いわゆる植物状態に近い。
これでよかったのだろうか。これでも生きていると言えるのだろうか。
今さら考えてもしかたのないことだが、こういう姿を目にすると必ず「このどうしようもない疑問」が頭に浮かぶ。
脳梗塞の再発と、それに併発した胆管炎がなかったら「寝たきり」にはならなかったし、「胃ろう」にもならなかった。そういう悔しい思いがある。
それまでは訪問介護のヘルパーさんに支えられて立ち上がり、車椅子まで歩いていた。そして車椅子で食堂に行き、自分で食事をとっていたのだ。
退院時には「胃ろうで寝たきり」だ。立つことも座ることもできなくなっていた。
「病院がもう少しケアしてくれていたら」という思いがある。個人的な(かたよった)感想かもしれないが、「病院が胃ろうで寝たきりにした」と思う。
食事がとれるようにする「嚥下トレーニング」も、立ったり座ったりできるようにする「運動機能回復リハビリ」も一切行われてないからだ。
病院(病院の医師)は「認知症ではリハビリできない」という前提で判断するようだ。延命が目的であって、生活の質(QOL)は二の次、全然頭にない。
嚥下訓練は「誤嚥」という危険性があり、充分可能で安全だと見込まれる患者のみ訓練し、リスクのある患者は訓練対象外となるのだろう。
のどにつまり窒息して「病院に殺された」と訴えられたら面倒で、それを避けるためにも「認知症はリハビリできない」として、胃ろう手術を勧めるのだろう。
何のリハビリもしないまま、あきらめて胃ろうを付けるのには納得できない。うちの家族で何度も話し合って、最終的に到達したのはそこだ。
病院がリハビリしてくれないのなら、うちの家族が交替で病院に通ってゼリーを食べさせることにした。それについては病院は認めてくれた。
リスクが高いから医療関係者によるリハビリをしないという立場をとりながら、「家族がするなら、どうぞ」と病院が認めるというのもおかしな話だ。
医療知識も技術もない、素人の家族が嚥下訓練をするほうがずっと危険性は高いと思うのだが、どうだろう。窒息しても「家族の責任」だからいいのか。
病院は「誤嚥」や「窒息」に備えて「痰を吸引する機械」を用意してくれた。
薬局でゼリーを探したが、老人用のはなく、赤ちゃん用のりんごぜりーで代用。
結果として、乳児用の小さなゼリーでも半分食べさせるのがせいぜいだった。
こうして何回かの家族による嚥下訓練を経て、家族もあきらめがつき、しぶしぶ納得して胃ろう手術となったわけだ。
うちの家族はあきらめたが、あきらめない家族だったらどうなったのだろう。熱心に毎日訓練してくれる家族がいたら回復したかもしれない。
「認知症だからリハビリできない」という医療側の圧力に負けない、そういう家族がいれば「胃ろう」にも「寝たきり」にもならないかもしれない。
病院が「胃ろうにしない」「寝たきりにしない」という立場で診療とケアを両立させてくれたらいいのだが、そうではない現状では「家族の力」だけだろう。
何もかも病院や医師におまかせで、結果が悪いと病院や医師のせいにするのでなく、自分で考え、自分が動いてみることが必要だと思う。
<That's Ninchi Show 2 No.1004 >