これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

FC2ブログに引っ越しました。週一回か二回は更新しています。

ボケた姿を見られたくないかと。。。。。

「ボケた姿を見られたくないだろう」という配慮がある。

親が認知症になって、「周囲の人々の足が遠ざかるのはなぜだろう」と思うことがしばしばあった。うちの親は友人知人の多い人だったから、特に。

四十年も五十年も同じ場所に住んでいたから当然と言えば当然だが、ご近所は皆よく知っている人ばかりだ。昔の人だから「ご近所」は大事にしていた。

お中元などで果物やお菓子が届くと、「一人暮らしでは食べきれないから」と近所の人々に分けていたし、そのお返しもあった。

地元のお寺や神社の祭礼にも必ず参加していた。普通に地域の人々と交流していて、よくある「人づきあいの悪い、へんくつ老人」ではなかった。

もし認知症にならなかったら、最期までそのままだったのだろう。ご近所に迷惑をかけることがないから、ご近所から嫌われることもない。

認知症になると、嫌われる。嫌われるという言葉は正しくないかもしれないが、それまでのように世間との交流があるかというと、ない。孤立する。

多くの人は、認知症をよく知らないので近づかない。人間は「知らないこと、知らないもの」をこわがるからだ。得体の知れないものには近づかない。

おそるおそる近づいてみたら、些細なことで激怒されることもある。近づかないほうが自分のためだ。

家族でも「できれば離れていたい」と思うほどだから、他人様の足が遠のくのは理解できる。当然のことだ。自分からストレスを増やしに行くことはない。

認知症の人の世話は家族だけでは難しい。誰でもいいから手伝ってくれたら有難いのだが、気がつくと誰もいない。家族だけだ。

地縁の絆も血縁の絆も、認知症となると別のようだ。

「ご近所づきあい、親戚づきあい」をいくら大事にしてきても、認知症になると別、「へんくつ老人」と同様に疎外される。誰も近寄らない。

それでも、何十年ものつきあいの友人は違うだろう。どんなに変わってしまっても見捨てないだろう。そう思うのだが、実際はほとんどの人が遠ざかった。

施設に入居したあと、何度も面会に来てくれたのは一人だけだ。

それ以外の人は会えば「お母さん、どうしてる?」と心配してくれ、気にはしてくれるが、それだけだ。施設の住所を知らせても、誰も来てはくれない。

友人なら気になって会いに行くのが普通なのに、なぜだろうと思っていた。のちに親の友人の一人(八十代)と話をしていて、その理由が何となくわかった。

その人は、「もし自分だったら、ボケた姿を友人に見られたくない」と言う。それが多くの老人に共通する考えらしい。だから会いに行かないわけだ。

老人のプライドだ。老人は自尊心が高い。なるほど、と思った。

ただ、認知症になってしまったら「自分がボケているとは思わない」から、友人たちの配慮には気がつかない。そういう理由だと察することができない。

「何の理由もなく」友人たちから嫌われ、疎外されていると思うだろう。

そういう疎外感や孤独感がストレスとなって被害妄想が出てくることもある。できるだけ発病前と同じような人間関係が保たれるといいのだが。

認知症の症状は「人間関係を壊す」ものばかりだから、難しいかもしれない。