介護ストレスに対抗するには。。。。。
認知症の母を連れてハワイへ、そんな人だっている。
先日テレビで「認知症の母を連れて沖縄旅行へ」という実例を見て、そんなことができる人もいるんだと驚いたものだが、まだ上には上がいるようで。
介護ブログを検索して偶然みかけたのだが、アルツハイマーのお母さんを連れて毎年ハワイへ行っていたという「すごい人」がいる。
在宅で介護していた時のことで、今は施設にいるので連れて行くことはないらしい。施設入所してやっと自由になったことだろう。発病から12年だという。
「毎年ハワイに行くこと」を励みとして一年間働いている人がいても、親が認知症になったらほとんどの人は旅行はあきらめるだろう。
親をあずける所がなくても、一緒に連れて行けばいいことだ。しかし、旅先で認知症の親が「普通でない行動をとること」を考えたら、ためらう。
こうして、親の介護のために自分の楽しみが消され、よけいにストレスを抱えることになる。発病前と同じようにハワイに行けるのなら別だが。
ハワイに行けないというストレスと、認知症の親を連れて行くことのストレスとを比べるといいのだろう。どちらが大きいか、どちらが耐えられるか。
仕事もこれまでのようにはできなくなるし、これまで続けてきた趣味や社会活動などもできない。自分の人生を犠牲にしての介護、そう言えるだろう。
介護ストレスは「認知症介護の難しさ」から来るものと、特有の暴言暴力などによる精神的打撃、そして、この「自己犠牲」があると思う。
これまでと同じように仕事に行き、趣味や旅行など「自分の時間」を持ち、その上で「認知症の介護」が加わるのであれば、自己犠牲のストレスはない。
介護ストレスを増やさないためには、「自分の時間」を確保し、発病前の暮らし方にどこまで近づけられるか、そこにかかっていると思う。
認知症は治らない。介護は十年二十年になることもあり、「一時的なガマン」ではすまない。介護ストレスから自分を守ることで、介護は持続可能になる。
「自己犠牲の継続」で自分を壊してしまわないように、何よりもそれだと思う。認知症の人は家族の支えがないと生きていけない。
認知症の本人を優先するにしても、ここだけは譲れないという「自分の優先領域」を残すべきだと思う。たとえば「仕事はやめない」というように。
本人が「その人らしく生きて、その人らしく終える」ようにするのが、これからの介護がめざす所のようだが、介護する家族にだって同じことが言える。
家族だって、認知症の介護をしながらでも「自分らしく生きる」ことを願うもので、それをめざしていくべきだろう。