これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

FC2ブログに引っ越しました。週一回か二回は更新しています。

介護する側の家族の尊厳は。。。。。

人としての尊厳を重視すると言うが、介護する側の尊厳は?

認知症の人の尊厳を保ち、気持ちに配慮して介護することが大事だと言われている。徘徊防止のために鍵をかけて閉じ込めるなどは、もっての外だ。

閉じ込めたり、出かけようとするのを阻止したりせず、「好きな時に好きな所へ出かけていいよ、あとから付いていくから」というのが、理想的なのだろう。

しかし、それでは介護する側の「自由」はどこに? 一日24時間の監視となれば、休息時間すらない。まさに奴隷労働で、人権無視もはなはだしい。

介護する側の「休みたいという気持ち」に誰が配慮してくれるのだろう。

好きな時に好きな所へ行くことなどできず、ひどい場合は食事や睡眠の時間もない。何もかも制限されて、少しの自由もなく、拘束されているのと同じだ。

また、認知症の人の言うことは「どんなに誤っていても、あり得ないことでも」否定してはいけないという介護の原則がある。気持ちに配慮してのことだ。

同じ理由で、認知症の人が失敗しても責めてはいけない。「こんなこともわからないの」「あほちゃう」などと気軽に言ってはいけない。本人が傷つくから。

ところが、介護する側はというと、否定的なことや「傷つくこと」を言われっぱなしだ。「ぶさいく」「役立たず」「あほ」「もう来なくていい」「死ね」などなど。

認知症の人は限度というものがないから、悪口を言い出したら「最大級の罵倒」になる。人生で一度も聞いたことのないレベルで、とても口に出せない。

「ここまで言うか」というもので、辛辣で、残酷で、下品でどうしようもない。

同じことを本人に言ったら「言葉による虐待」になってしまう。老人虐待は問題視されるが、認知症老人による「言葉の虐待」は問題ではないらしい。

認知症の人を介護するには、奴隷労働の上に「暴言による精神的打撃」も付いてくる。それをどう克服して「笑顔で介護」するか、相当な難問だろう。

認知症の介護は誰にでもできるものではない。

「家族だから」「親子の情があるから」というだけで、家族による在宅介護が可能だとは思えない。一時的ならともかく、何年も継続することは。

「施設から在宅へ」の政府方針は家族のことを少しも配慮していないように思う。ぜひぜひ考え直してもらいたい。