親が認知症になって、手づかみで食べるのを。。。。。
国によっては「手づかみで食べる」のが普通で、当然という所もある。
日本ではそれを見かけることはほとんどない。手づかみはパンやお寿司、おにぎりなどに限られていて、ご飯やおかずを手で食べるということは皆無だ。 認知症が進んでお箸やスプーンが上手く使えなくなると、中には「手づかみで食事する」人も出てくるらしい。それが現実になるまで知らなかったことだが。
うちのおばあちゃん(84歳、胃ろうで寝たきり)が認知症を発症して二年ぐらいの頃、専門医受診のために市民病院に連れて行った。一日がかりの受診だ。
当時入居していたサ高住(施設もどきの高齢者住宅)のケアマネージャーさんも受診に付き添ってくれた。普段の様子は家族よりもこの人が詳しい。
待ち時間にお昼時になったので、三人で病院の食堂で昼食となった。
「海老フライを手づかみで食べる親」を見たのはそれが初めてだ。驚いていると、ケアマネージャーさんは「うちの食堂でも、いつも手づかみです」と言う。
「こんな姿は見たくなかった」というのが実感だ。あとになって思えば、認知症なら「ごく普通のなりゆきで」驚くことでも気にすることでもなかったのだが。
先日テレビで紹介されていた「満点介護」のケースでも、認知症のお母さん(99歳)は何もかも手づかみで食べていた。娘さんはうれしそうに見守っていた。
勝手に「満点介護」と呼んでいるが、この例は在宅介護の優等生、めったにない成功例だと思う。だからこそ、テレビ局が取材し放映したのだろう。
発症して15年、寝たきりにも胃ろうにもならず、オムツもせず、寝つくこともなく誤嚥性肺炎にならず「老衰」でこの世を去ったという、貴重な成功例だ。
娘さんはお母さんを連れて外食し、居酒屋にも行き、飛行機で沖縄旅行にまで行っていた。「手づかみが恥ずかしい」と思う人にはできないことだ。
日本人は「均質=みんなと同じ」を好む。みんなと同じなら安心する。そのため、少しでも「みんなと違う」ことがあると気にする人が多い。
「みんながお箸で食べる」国で、「手づかみで食べる」親を連れて飲食店に行くのは、抵抗があるだろう。これまでの考え方を切り替えないと無理だ。
「ひと(他人)はひと、自分は自分」という考え方ができるかどうかだ。
認知症の人の中には「ある日突然食べなくなる」ということがある。料理を工夫し、好物を出しても、食べさせようとしても食べてくれないというように。
そんな人でも、手のひらに食べ物をのせてあげると食べることがある。そういう例はいくつも確認されているらしい。
不思議なことだが、「手の感覚」が生きている限り、「食べ物を口に運ぶ」という動作に連動するのかもしれない。
「手づかみで食べる親の姿」が気になる、みっともない、誰かに見られたら恥ずかしい、そんな風に思う人だっている。それが日本社会だ。
「みっともないから連れて行かない」を選ぶか、「発症前と同じように外食に連れて行く」を選ぶか、ひとそれぞれだ。
認知症になっても人生が終わったわけではない。発症しても以前と同じような楽しい時間を与えてあげられたら、それは最高の親孝行になるだろう。
考え方一つだ。が、何十年もその考え方で「みんなと同じように」生きてきたら、なかなか変えようにも変えられないものだ。
これも「できる人はできる」ことの一つで、できない人はできないでいい、そう思うのだが。できない者のいいわけだろうか。
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