介護職の人の「余裕」が。。。。。
介護職の人は「明るく、楽しく、余裕で」介護している。
ほんとうは余裕がないのかもしれないが、余裕たっぷりに見える。当然と言えば当然だろう。自信なさそうな人には誰も安心してまかせられない。
親が認知症になるまで、全く介護と縁がなかったので介護職の人の明るさと笑顔と「のんびり」には驚いたものだ。少々違和感があった。
「暗く、つらく、せわしく余裕のない」自分と比べて、あまりに違い過ぎるから。
よくこんな暗い状況で、頭のおかしな老人ばかりを相手にして、緊張もせず「ゆったりと」楽しそうに働けるものだと不思議だった。
介護施設の中は時間の流れがとまったような別世界で、老人のペースに合わせて「ゆっくり」動き、世間の流れや「効率」とは無縁、まるっきり違う。
入居相談で「困っていること」を聞かれ、「困っていることだらけ」だったのでつい長々としゃべってしまったのだが、相談員さんは笑顔で話を聞いてくれた。
聞いてくれるのは有難いのだが、こっちは悩んで苦しんでいるのに、「笑顔」はないだろうとも思った。職業的に笑顔が張り付いているのだろうか。
「そういう症状の人は多い」と言われただけで、解決法を教えてくれたわけでもないが、困っていることを話すと気持ちはすっきりするものだ。
だが、入居相談は本来「介護の悩み相談」ではないから、余分なことに時間をとられたら効率は悪いだろう。
さて、入居後も違和感は続く。ケアプランに「リハビリ目標は現状維持」とあり、それがひっかかった。それでは少しもリハビリになってないのでは?
現状より少しでも上をめざすのが普通だろう。老人だからどうでもいいとでも? やる気はあるの? もっと緊張感を持ってほしい・・などが浮かぶ。
ケアマネージャーさんにたずねると「認知症ではそれが精一杯、現状維持すら可能性は低い」という答えだった。現状維持が最高目標だとは、意外だった。
早い遅いという個人差はあるが、みんな必ず「今できることができなくなる」わけで、能力低下は避けられない。現状維持できていれば喜ぶべきことらしい。
今の状態をいつまで保てるか、何週間か何ヶ月か、それもわからないから。
この一件を初めとしていくつも違和感を持つことに出会い、「認知症介護の常識は世間の常識とは違うことがある」と気が付いた。考え方を変えねばならない。
頭を切り替えて適切に対処できる人は「介護にむいている」人で、「明るく、楽しく、余裕で」介護できる人だろう。
どうしたらそうなれるのだろうか? 生まれながらの適性があるように思う。