認知症の「介護疲れ」は。。。。。
認知症の在宅介護はきわめて困難だ。
困難なことを無理して続けていると、いつかはガマンしきれなくなって「きれてしまう」ことだってある。人間だから、介護ロボットではないから。
老人虐待や介護放棄という事件になるのは今はまだ少数だが、その寸前まで追い込まれる人は多数いると思う。
三年前から同居して世話していたが介護に疲れ、「もう顔を見たくない」と発作的に起こした事件らしい。
世間の人は「何も殺さなくても、施設に入れたらいいのに」と思うだろう。施設に入れられない理由がいくつもあることを知らない人が多いから。
そこまで追い詰められた理由は、単に「介護疲れ」という文字では表現できないものだ。「疲れ」というだけでは不足、あまりにも軽すぎる。
世間の人は「疲れたなら休めばいい、誰かに交替してもらって」と思うだろうが、それができないから身体的にも精神的にも追い込まれる。
認知症は脳機能障害で、その障害は日々刻々と変化(悪化したり、一時的に機能が戻ったり)する。どんどんと脳は壊れ続ける、本人の死亡まで。
どこがどう壊れているのかも誰も明確にはわからない。対処しようがない。
脳の壊れた人を世話するには、どう考えてもそれなりに教育を受けないと難しいと思う。普通の人がマニュアルを読んでできるものではない。
それを「家族だから」と、「他人やご近所に迷惑をかけられないから」と、一人で抱え込んでいる、そういうケースが多いだろう。
「家族が世話して当然」という世間の常識は誤りだ。論理的には「何の知識もスキルもない普通の人(家族)ができるはずがない」と言える。
きわめて困難でも「家族だからできる」という根拠は何なのだろう。
愛情や責任感だろうか。「施設から在宅へ」を推奨する人々にぜひ答えてもらいたい。どの家族にもあてはまる普遍的な答えを。
「認知症を発症したら施設へ」というのが常識になるといいのだが。