認知症の人の身体拘束、医療と介護では。。。。。
認知症の人の身体拘束を見るのはつらい。
たとえ他人でも見ていられないのに、親が認知症になって「拘束ミトン」をはめられ、それを見た時の気持ちといったら、つらいどころではない。
点滴を抜くからと、また、胃ろう手術後に「胃ろうボタン」の周囲をさわるといけないからと、何回も「拘束ミトン」をされた。その姿は忘れられない。
介護では「身体拘束は基本的に禁止」だが、医療では必要があれば当然の措置(ただし家族の承認がいる)で、頻繁に行われている。
うちの親は二人とも認知症になったが、二人とも急病で入院して拘束ミトンをはめられた。そして二人とも、それをとても気にしていた。
面会に行った家族の誰もに、まず最初に言うことが「これ見て」だった。布団の中から拘束ミトンのはめられた右手をつき出して見せつけて。
「なぜこんなことを」とでも問うような、不安そうな顔をしていた。
なぜミトンをはめられているか、説明しても理解できないだろう。もしその時に理解できたとしても、数分後には記憶の外、思い出せないだろう。
「点滴が終わったらミトンをはずしてもらえるからガマンして」と言っても、「退院するまでガマンして」と言っても、認知症の人には通用しない。
認知症の人はガマンできない。もともと老人はガマンできないものだが。
認知症の人は会話が成立しなくても、一方的にしゃべるだけで意思疎通ができなくても、そのレベルでも何もかもわからない状態ではない。
何の理由もなく「手の自由を奪われている」ことはわかっている。
ほんとうは理由があるのだが、本人がそれを理解していないから理由はないのと同じだ。理由もなく拘束された気持ちを想像してみてほしい。
病院に言わせれば、拘束は本人のため、拘束しないと命にかかわることにもなるからだ。医療は「長生きさせること」をめざす、どんな状態でも。
本人の「人としての尊厳」を無視したような状態であっても、少しでも長生きできればいい、それが医療だ。
病院を追い出されたら行く所がないから、病院の方針には逆らえない。
身体拘束は介護ではできない。拘束すれば虐待とみなされる。それなのに、医療では普通に恒常的に行われていて虐待にならない。
全く同じことが、場所が違うだけで。片方は犯罪で、片方は医療行為。
医療現場では虐待にならないとしても、事実は虐待にしか見えない。家族としては見るに耐えられない。何か他の方法はないのだろうか。
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