「介護に疲れて」の事件、老老介護は特に。。。。。
当事者にならないとわからないことは多い。
これだけ認知症の人が増えても、遠くから見ているとわからないものだ。
公園などで手をつないで散歩している老夫婦を見かけると、見ず知らずの人は「年取っても仲がいい理想的なカップル」と思うものだ。
しかし、実態は「手を引いてあげないと足が弱っていて転倒する」からか、もしくは「認知症なので手を離すと危険」なのかもしれない。
仲がいいどころか、老妻の徘徊に「しかたなく」つきあっているだけという場合もある。「出かけるな」と言っても少しも言うことを聞いてくれないから。
このように外から見ているだけでは「ほんとうのこと」はわからないものだ。
「介護に疲れて」の殺人や自殺というニュースを聞くと、世間の人は「どうして?」と思うだろう。認知症の介護の困難さを知らない人々は。
介護ストレスがそこまで大きく、深刻なものだと思っていない人が多い。
「何も殺さなくても、よほど精神的に弱い人なのだろう」と考え、「こういう事件にまで至るのは特殊例だ」とみなして、「自分は関係ない」とする。
そして当事者になって初めてわかる。精神的に弱い人でも特殊な例でもなく、誰でもそうなのだと、「一歩まちがったら」の瀬戸際にいると。
先日テレビで認知症の在宅介護を取材していて、介護している奥さんが「介護殺人という言葉が浮かぶほど追い込まれていた」と言っていたが・・
それは決して珍しいことではない。介護ストレスで悩んでいたら、ストレスの原因を除去しない限り解決しない。苦しみから解放されない。
ストレスの原因から離れることができないとなると、他に道がなくなる。
殺人には至らなくても、介護放棄もある。介護ストレスに耐えられなくなり、介護から逃げ出したいという気持ちが強まれば。
認知症の人は一人では何も満足にはできない。一人にされたら生きていけないから、介護放棄は介護殺人と同じ結果になる。
認知症の人を介護する家族は皆「逃げ出したいが、逃げられない」という状況で、何年も介護ストレスに耐えている。
家族による在宅介護が理想的だと考える人は、こういう状況にいる家族の気持ち(苦しみ)を想像してみてほしい。
新聞で知っただけでも、この数日に二件も「老老介護に疲れて」殺してしまうという事件があった。このような悲劇的結末を誰が予測しただろう。
「施設から在宅へ」は問題が多い。考え直してもらいたい。