達成感のない認知症介護は。。。。。
評価されなくても、達成感さえあればストレスは減る。
それでも、自分なりに「よくやった」という達成感があれば、たとえ自己満足に過ぎなくても、今後も努力を続けていこうという意欲にはなる。
困難なこと、苦手なことを「どうしてもやらねばならない」時が人生には必ずある。嫌でもガマン、忍耐の継続、そこに多くのストレスが発生する。
が、たとえ半分でも、確率は少なくても、その忍耐と努力に見合った成果が出れば(努力が報われたら)達成感が得られる。
たとえば「スポーツ大会で優勝はできなくても、自分の記録更新はできた」というように。他者からの評価はなくても、達成感(自己満足)はある。
認知症の人を介護することは、実は専門職でも容易にできることではなく、何の訓練も受けていない家族にとっては極めて困難な仕事だ。
それを無理して継続していけば、同時にストレスも積み重なっていく。
認知症の人を介護する場合、努力に見合った結果は出ないことがほとんどだ。病気の進行を少しでも遅らせようと努力しても、むなしいだけで。
奇跡的に「一時的に」良くなることもあり、進行が止まって安定していることもあるが、突然悪化することもあり、なすすべもなく、無力感だけが残る。
というわけで、達成感もなく、明日への意欲もなく、無力感と積年の介護ストレスに押しつぶされそうになる。
そのままでいくと、介護ストレスで心を病み、身体を壊し、ガマンできなくなって、老人虐待や介護放棄(ネグレクト)に至る危険性だって生じる。
「結果にこだわる」ことをやめればいい。望むような結果は出ないことが確実だから。どんなにあがいても、脳の破壊は止まらないのだから。
考え方を変えよう。「努力したこと」だけで、それで満足だと。
家族にできることは限られている。医学知識も介護の知識やスキルもない家族が、唯一できることは「認知症の人に最後まで寄り添う」ことだ。
ケアマネージャーさんは転勤や自己都合退職などで、いなくなる。介護スタッフ(訪問介護ヘルパーさん等)も、いつの間にか顔ぶれが違っている。
訪問診療の医師も、都合でやめてしまう。訪問看護スタッフも同様に。
最後まで寄り添うことができるのは、家族だけだ。「いつでもどんな時でも、そばにいる」のは家族だけ。会う(見る)のがつらい姿になっていても。
何の成果も出せなくてもいい。そばで見守る、それだけだ。それができていたら、「よくやった、十分だ」と自分をほめてあげていい。
自己満足に過ぎないが、それを達成感の代わりにしよう。