些細な違和感が認知症のサインかも。。。。。
ほんの少しの違和感が、認知症の始まりだったりする。
親の友人のことだ。うちの親が高齢なら、親の友人も高齢、もう八十歳は超えている。うちの親が認知症なら、この人もいつ発症するかわからない。
夏にボケたのではないかと思ったことがあった。
お中元のお礼状の封筒に八十円切手が二枚張ってあったから。増税で八十円では不足になっているが、二枚張るんだったら八十円と二円だ。
八十二円や二円切手を買いに行くのが面倒だったというだけで、ボケたのではないかもしれない。が、きっちりした人だったので、違和感はある。
さて、昨日のこと。この人から初めて電話がかかってきた。東京からだ。
お歳暮(りんご)のお礼だった。「電話で失礼します」と丁寧に。
いつもお礼状なのに、とうとう字を書くのが面倒になったのだろうか。
やはりボケたか! 夏の違和感は、思い過ごしではない。この二十数年、毎回お礼状が届いていたことを思うと。それはこの人のこだわりだ。
老人は保守的だ。いつもと違うことを嫌う。よほどのことがない限り、長年の習慣は変えない。「お礼は電話や葉書より封書」にこだわり続けるはず。
この小さな変化を「年取ったから」ですませるか、すませないか、だ。
しかし、電話が来たということは電話機が操作できるということで、認知症ではないかもしれない。電話での話の内容も特に問題はなかった。
もう一つ「いつもと違うこと」がある。この人からはいつもうちのお歳暮より先に上等な昆布巻きセットが届く。11月末か12月第一週に。
というわけで、毎年「昆布巻き」が届いてから、あわてて「りんご」を注文する。恒例になっている。
今年はまだ来てない。もしかして、お歳暮の注文を忘れているのだろうか。
「まだらボケ」という段階だったら、周りの人も気が付かないことが多い。一人暮らしだから、もし誰も気が付いてないとしたら。
娘さんに言うべきか。会ったこともないのだけれど。いやいや、余計なお世話だろうか。「些細な違和感」は認知症の始まりなのだが、経験上。
様子を見に行けばわかるのだが、東京だから大阪からは、ちょっと無理。気になるが、お歳暮を待つだけだ。(今年は来ないかもしれない?)