胃ろうを付けた人、付けなかった人。。。。。
胃ろうを付けても、付けなくても後悔する。
胃ろうによる延命が「生命倫理的に、また、社会正義としてどうか」という高い見地からの議論は、「他人事」で余裕のある時に考えればいい。
「自分の親が」という立場になると、もっと現実的に「どちらに利があるか」をまず考える。何よりも望むのは「本人がラクに」ということだ。
「実際に胃ろうを使う本人の声」があれば一番だが、胃ろうを付けている人の多くは「終末期」とされる人々で、それはほとんど不可能だ。
終末期に胃ろうを付けないで終わるのと、付けて終わるのと、両者の違いを明確に説明してくれる人もほとんどいない。
経験者は「あの世」にいるわけで、いいか悪いかの感想は聞けない。
そういうことを考えると、胃ろう造設については「判断材料になる情報が少なすぎて、誰も判断できない」とみるのが適当だろう。
判断できないにもかかわらず、どちらかを選ばねばならない。そうなると、胃ろうを付けても付けなくても、あとから必ず後悔することになる。
「こっちを選んでほんとうによかったのだろうか」と。
葬式の日、身内だけになった時に「もし胃ろうを付けていたら、まだ生きてただろうね」と言う人もいて、一同、何も返す言葉がなかった。
別の実例もある。「胃ろうを付けなかったら半年」と言われて、胃ろうを付け、病気もせずに半年が過ぎ、ちょうど一年になった時、家族が言った。
「あの時胃ろうを付けなかったら、今頃葬式だったかもしれないね」と。こちらも家族一同、返す言葉がなかった。
脳の働きも悪化し、筋力も衰えてしまって一年前とはまるで違う。それでも顔色は良く元気そうではある。元気な終末期、実に不自然だ。
どちらがいいとは言えない。どちらがよかったかはわからない。同じ人間で(同じ条件で)両方の場合を試して比較することができないから。
それが、どちらを選んでも結果的に後悔する理由だと思う。