胃ろうと人間の尊厳と。。。。。
「尊厳死とは」「人間の尊厳とは」等を考えてみた。
過剰な延命でなく、最低限の医療措置だけにすると、「無理やり生かされる」ことはなく、「人間らしく」生きれるだけ生きて終わる。
尊厳を保って「生きる」か、尊厳をそこなわれて「生かされる」か。
機械の一部のようになって、ただ生きているだけの状態になることを避けるには、どこかで「延命措置」を中断しなくてはならない。
およそ人間らしくない姿になって無理やり生かされていることが、その人の尊厳をそこなっているという考えはもっともで、誰しも異論はない。
そうなると「胃ろう」はどうなるのだろう。
胃ろうは場合によっては延命措置だとされている。が、胃ろうが「必要以上の延命なのかどうか」という点で、道は分かれていく。
胃ろうが必要な延命措置だったら、尊厳は保たれる。が、必要以上の延命措置だったら、その人の尊厳をそこなっていることになる。
うちのおばあちゃん(83歳、要介護5、半身マヒ)は胃ろうを付けて一年になる。一年後の今、尊厳をなくした状態かというと、そうとは思えない。
テレビを見て、好きな音楽を聴き、家族や施設のスタッフとしゃべっている。まだまだ「人間らしい」暮らしだと思う。食事がとれていないだけで。
しかし、このままの状態で終わるとは限らない。
話しかけても何の反応もなく、言葉も出ず、「あー、おー」と奇声をあげるだけ、一日ぼーっとして目もうつろ、眠ってばかり・・というようになったら。
「人間としての尊厳」を保ったままで世を去るには、どこかではっきりと延命を拒否しなければならない。人間らしく生きて、人間らしく終わるには。
その代わりに、家族には相当の覚悟がいる。胃ろうなどの経管栄養を拒否した場合、栄養不良による衰弱死(餓死)という最期が待っている。
それは見たくない。そういう家族の気持ちもわかってほしいと思う。