これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症の家族ドラマは。。。。。

普通の人生にドラマのような展開は少ない。

映画や小説のように、次から次へと(観客や読者が思いつかないような)意外なことが起こる、そういうことは普通はあり得ない。

事件や事故が短い期間に「同じ家族に」たて続けに起こることも少ない。

もしあるとしたら、薬やアルコールの依存症などの精神疾患があるか、または先天的に脳の使い方が異なる「発達障害」の人の家族だろうか。

被害妄想や幻覚、幻視・幻聴に悩まされて事件や事故を起こすというのは、認知症の人も「脳が壊れているから」同じだ。

ということは、認知症の人の家族にも「想像もしなかったような劇的な展開」が次々と襲ってくることは避けられない。

一日のうちに、自宅の前に救急車が来て、続けて消防車もパトカーも来るということもあり得る。認知症の本人の妄想がひどかったら。

この三つ、うちのおばあちゃんは全部そろえてくれた。認知症の初期で「電話をかける」能力が残っていたときに、架空の被害を訴えて。

これまでは何も語ることのない普通の人生だったが、親が認知症になると劇的に(ドラマティックに)なる。「事実は小説よりも奇なり」のように。

認知症は「脳機能障害」だ。その上、どこがどう壊れているかも明確ではないから、突発的にどんな反応をするか、何をするのか見当もつかない。

次に何が起こるかわからないハラハラ・ドキドキはドラマだからいい、観客だから「おもしろい」わけで、現実に体験するとなると話は違う。

観客になりきって「おもしろい」と思えばいい、ドラマを楽しんだらいい。が、言うのは簡単だが、普通の人はそこまで達観できないだろう。

他人のことなら笑えても、自分の家族のことは笑えない。涙が出る。

自分の人生にこんなことが起こるとは想定していなかった、そういうとてつもない「事件」ばかりで、乗り越えるのに必死で何の余裕もない。

親の口から「誰々に殺される、たすけて」とか、「どうすればラクに自殺できる?」とか、ドラマのような言葉を聞かされるとは誰も想定していない。

「殺される」のをおそれながら、時には自殺をほのめかす、矛盾していて何を考えているのかさっぱりわからない。脳が壊れているからだろうか。

「今まで言わなかったけど、実は・・」と真剣な顔で、ありもしない「つくり話」の告白を聞かされることもある。認知症でなかったら信じるかもしれない。

さすがに、おじいちゃんの隠し子が「ヘルパーさん」という話は荒唐無稽で笑ってしまうが、ここで笑ったらいけないのだろう。

認知症の人の言うことを否定してはいけない」という原則だと、こういう場合はどうする? 「黙って聞くだけ」でいいのだろうか。

「殺される」や「自殺する」という本人の主張も、否定してはいけないのだろうか。「誰も殺しに来ない」「ラクな自殺方法はない」と言いたいのだが。

今の脳科学では脳の全容は解明されていない。脳の壊れた人をどう扱うかは、医師でも難しいことだ。素人の家族にできるはずがない。

ドラマのような毎日が、全て喜劇ならいいが一つ誤ると悲劇にもなる。

交通事故や火災、暴力事件、殺人事件、金銭トラブル、失業、離婚などで家族崩壊などの悲劇的結末にならないとも限らない。

普通に生きてきた人を普通に見送ること、それがこれほど難しいとは思わなかった。何も語ることのない、普通の暮らしが今なつかしい。