認知症の人の言うことを否定しない、そのわけは。。。。。
「認知症の人の言うことを否定しない」というのは常識だ。
「驚かせない、いそがせない、自尊心を傷つけない」の三つ。
「否定しない」がないのが不思議だが、サポーターの人は徘徊時などの緊急対応を期待されていて、毎日接しているわけではないからだろうか。
家族の毎日の対応としては「否定しない」は最重要ポイントになる。ついうっかりして否定してしまったら、想像もしないような大変な事態にもなる。
まちがっているから正しい情報を教えてあげただけで「親子げんか」になることもある。どうしてそんなことで泣いたり怒ったりするのかわからない。
うちのおばあちゃんの例ではキャッシュカードの暗証番号だ。おばあちゃんは「口座番号の上四桁」だと思い込んでいて、お金をおろせなくなった。
何回も暗証番号をまちがったので、銀行がそのキャッシュカードを使用不能にしてしまったからだ。本人は「機械が壊れている」の一点張り。
自分がまちがったとは全然思っていない。絶大な自信だ。
「口座番号は通帳にも書いてあるから誰でもわかる。そんな危険な番号を暗証番号にするはずがない」と言っても、全く聞く耳を持たない。
「銀行が悪い」とばかりに、怒りにまかせてどなりこんで行きそうな勢いだ。
ゆっくり丁寧に説明しても、何回も繰り返しても同じ。本人は「一つの考え」に固執し続け、何の進展もない。時間を使い、ただ疲れるだけだった。
本人はというと、どなる、わめく、最後には泣き出す始末で、たかがキャッシュカードのことでこれほどの騒ぎになるとは、家族みんな驚くばかり。
「家族に否定される」ということが本人には格別に大きいのかもしれない。
もっと些細なこと、たとえば本人が「靴下はいつも一番上の引き出しに入れてある」と言うのを否定してもいけないようだ。それでも怒りだしたから。
「それは以前のこと、先月から二番目になっている」と言ってしまってから、「これはまずい」と気がついたのだが、後の祭り。
「物の置き場所を変える」とか「家具の配置を変更する」とかも、認知症の人のいる家庭では避けるべきことだった。それも知らなかったから。
認知症の人はいつも不安でいっぱいだ。わからないこと、できないことばかりで家族の助言がなかったら何一つ(まともには)できない。
家族だけが頼り、その頼るべき人に自分の言うことを否定されると、「自分の側についていない、みかたではない」と思ってしまうのだろうか。
家族としては「否定しない」を心がけ、信頼感を失うことのないように努めるのがいいのだろう。といってもそれは理想、現実はなかなか。
脳の壊れた人を相手に、上手に対応できる人がどれだけいるだろう。