認知症の人にお薬カレンダーは。。。。。
お薬カレンダーは認知症の人には無用の長物だ。
医師や薬剤師は老人医療に関わることが多いのに、案外と認知症のことをよく知らない人も多い。ど素人の一般人と違って職業柄知っていると思われているが。
うちのおばあちゃんの老人マンションが契約している訪問薬局もそうだ。○○薬局と書かれた「お薬カレンダー」を頼みもしないのに置いていって、買わされた。
「朝、昼、夕、寝る前」という四つの透明ポケットが七列になっているもので、一週間分の薬を分けて入れられる。どこまで飲んだかが一目瞭然で、確認しやすい。
が、認知症の人はお薬カレンダーは使えない。あっても何の意味もない。一般人なら知らないのもわかるが、顧客のほとんどが老人という訪問薬局が知らないとは。
発症すると早い時期に頭の中からカレンダーは消える。「時間、場所、ひと」という順番でわからなくなるのが認知症だ。それは医療関係者なら知ってるはずだが。
おばあちゃんが薬をきちんと飲めなくなった頃、薬局でお薬カレンダー(千円)を買って、薬を分けて、セットしてあげた。これならまちがえずに飲めると思っていた。
認知症の人は薬を一つ一つパッケージから出すのも難しい。手先が思うように動かない。また複数の薬を朝一錠、一カプセル、夕方ニ錠などと区別するのも苦手だ。
そこで薬局に頼んで、カプセルも錠剤も外装をはずして一つの小袋にまとめてもらった。朝、昼、夕、寝る前、の四種類の小袋に。ここまですれば一人でもできると。
ところが結果はさんざんだった。飲んだり飲まなかったりは今までと同じで、もっと悪いことにゴミ箱に薬が捨てられていた時もある。これはショックだった。
飲むのを忘れていて、あとになってポケットに前の分が残っていると気が付いたのだろう。「また飲んでいない」と娘や息子にしかられると嫌だから、証拠隠滅だろうか。
お薬カレンダーがメチャメチャになっていた時もある。夕方の分が朝のところにあったり、一つのポケットに小袋が二つも入っていたり。
これも本人の証拠隠滅の努力の跡に違いない。今はそう思えるが、当時は考えも至らず余裕がなく腹が立つままに「よけいな所をさわらないで」と叱責してしまった。
認知症の人をとがめたり責めたりしてはいけない、それはわかっていたが、何度も何度も同じようなことがあるとガマンにも限界がある。言えばスッキリするのだが。
言われた本人は何も思い出せないので、何で怒られているのかもわからない。全く無意味だ。本人の心を傷つけ、本人のストレスが増え認知症が悪化する。
当時は要介護1で、着替えも食事もトイレも一人でできるから、薬を飲むことぐらい「きっちりセットしてあげているから一人でできる」と思っていた。それが誤りだった。
認知症の人は一人で満足にできることは何もない。誰かが側で付いて「わからない時に助け舟を出す」と、かなり多くのことができる。
「一人でできる」と思って期待するから失望する。結果にイライラするし、怒りをガマンすることでストレスもたまる。「一人ではできない」のを前提とするべきだろう。
「一人ではできない」と思って見ていると、少しの手助けだけでも実は意外と成果があるとわかる。「あれもできた。これもできた」という小さな喜びもある。
認知症の人を一人にしてはいけない。