認知症のサインを見逃すと。。。。。
認知症の予兆はある。あとから思えばあった。
何回も「ちょっとへん」「何だか違う」と思うことがあった。そういう日常のささいな違和感、それが実は認知症の始まりだったのだが、当時はそうとは全く思わないでいた。
それらを「もう八十歳近いから、年をとったからだ」として見過ごしてしまった。深く考えることもなく、「誰でも老人になるとそうだろう、老化だ」と思った。
誰にでもある普通の老化と、認知症による老化の違いなど、素人にはわからない。専門職でもわかっているのかどうか。始まりの始まりは、わずかな違いしかない。
うちのおばあちゃんの場合、発見が遅れたのは性格によるものだ。神経質なくらいのきれい好きで、物を出しっぱなしというのが嫌いで、毎日使うお鍋でもしまいこむ。
それがだんだんといつも使う物は出しっぱなしにするようになった。何でも食堂テーブルの上に置いておく。しまわない。立ちあがるのがしんどいからという理由で。
それを見ても「きれい好きな人も普通の老人と同じになるんだな。神経質過ぎたから、かまわないぐらいでちょうどいいかも」としか思わなかった。
それがまちがいのもとだとは、あとになってわかる。小さな違和感を無視してしまったせいで、「盗られた妄想」が始まるまで発病に気が付かず大変な目にあった。
きれい好きな人はどんなに年をとってもきれいにしていたいものだ。事実、その前年におばあちゃんは家の窓ふきを業者に依頼していた。老後資金の一部を使って。
手があがらなくなって窓がふけず、汚れが気になってしかたがなかったらしい。節約して貯めた虎の子の老後資金を使ってでも掃除してもらいたかったようだ。
きれい好きな人が普通の老人になったのは、普通の老人がゴミ屋敷の住人になったのと同じぐらいの大きな変化だった。わかりにくいから見過ごしてしまうが。
「この人らしくない」と思ったら、それは認知症かもしれない。ささいなこと、小さなことでも見逃してはいけない。