これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

FC2ブログに引っ越しました。週一回か二回は更新しています。

認知症の人に合わせるのは疲れる。。。。。

わかっていても、なかなか認知症の人には合わせられない。
 
少しでも「物の位置」が違うと、脳に障害がある場合は「ない」とみなしてしまう。ほんの少し横にあるだけとか、何かが上に重なってしまって少し隠れただけとかでも。
 
掃除する時でも、その点は気をつける。「もとあった位置にもどす」というのは鉄則だ。が、100%できるはずもなく、「まあいいや」でテキトーにすます時だってある。
 
気をつかうのがそれだけではなく、万事が万事、生活全般において無条件に合わせてあげないといけないから、完全を求めても無理だ。どこかで緊張は緩む。
 
厳密に言えば、あきらかにゴミとわかる物でも、捨てるに捨てられない。それがないとなると、「物の位置」が変わるから。が、そこまで合わせる必要はないと思う。
 
そんなことをしていたらゴミ屋敷になってしまう。捨てるのはガマンしてもらう。
 
「何で捨てたんだ」と怒り出すし、「何でも捨てるから困る、使えるのに」とグチを言われ、「もう来なくていい」と言い出すかもしれないから、捨てるのも難しい。
 
本人にわからないように捨てる。忘れたころをみはからって捨てる。ほんとうは捨てることを納得してもらって捨てるのがいいのだが、これが一番難しい。
 
「変化を嫌う」ということは、「現状維持」を強く願うことだから。
 
普通の人にとって、「いつもの場所にない」ことはたいしたことではない。ちょっと探せば出てくるだろうと落ち着いていられる。が、認知症の人は全然違う。大事件だ。
 
「何でそんなに・・・」と思うほどだ。普通の脳では理解できない。そこまで大騒ぎすることかと、あきれる。「ない、ない、ない。誰か動かした?」と家族らを問い詰める。
 
掃除するのにじゃまだから重ねただけ、それだけで「ない、ない」とパニックになる。「ここにあるよ」と出してあげても、おさまらない。「勝手に動かした」と怒る。
 
そんなことで血相を変えてまで怒らなくてもいいのにと普通の人は思うだろう。どこかに持っていったのでもなく、そこにあるし、一部は見えているのだから。
 
普通の人には見えていても、脳の壊れた人には見えていない。そこが問題。
 
こんなことが日常茶飯事だ。掃除して、片付けて、ゴミを捨てて、身辺をきれいにしてあげて、感謝されない。いつもいつも「よけいなことをして」と非難される。
 
「やってられない」「あほらしい」という気持ちは、どうしたらいいのだろう?