親孝行するなら認知症の出る前に。。。。。
親が認知症になってからは「親はいない」と思っている。
とても親とは思えない、そんな言葉を聞かされる。暴言だけでなく、手も出るし、足蹴りすらある。息子はたたいても娘だけはたたかない、と言っていた人でも。
暴言は家の中にとどまらない。外に向かっての放言もある。家族にとっては迷惑きわまりないことに、何の遠慮もなく親戚や知人、ご近所など誰にでも言いまくる。
「息子が年金の入る通帳も印鑑もとりあげてしまって、何も買えない。必要なら現金を渡すと言うが、少しも渡してくれない。」などと親戚や知人に電話することもある。
「貸し金庫の中の貴重品を息子や娘が持っていったかもしれないから、見に行って」と親戚に頼むこともある。「わが子が盗んだ」と本気で思っている。信じられない。
もし疑っていたとしても、わが子の悪行を他人様に言うだろうか。普通は言わない。親ならば誰だってそうだろう。さとられないように、ひた隠しに隠すものだ。
ご近所にも息子や娘の悪口を言って歩く。「うそつき」だの「浪費家」だの、「親の世話をすると言うのは口だけ、何もしない」とか、事実無根のでっちあげだ。
「うそつき」は本人のほうだ。本人の妄想の世界を否定すると「うそつき」にされる。「浪費家」も本人だ。自分が使ったことを覚えていないが、現金は消えている。
現金の不足分は全て「家族の誰かが使った」ことになる。もしくは、息子には「娘に貸した」と言い、娘には「息子が持って行った」と言う。
頻繁に通って世話していても、それを覚えていないから「めったに来てくれないし、何もしてくれない」と言われる。思い出せないことは全て「なかったこと」になる。
「服も買ってくれないから古いものをずっと着てる」と言う。買ってあげていても。
新しく買ったのが何枚もあるはず・・と探してもどこにもない。古着ばかり。本人が誰かにあげたか、捨ててしまったかだろう。そのことを本人は全く覚えていない。
こんな人に現金や物を渡すのは「ドブに捨てる」のと同じだ。何もかも「なかったこと」になるのだから。今、目の前にあるものだけが「ある」、そういう世界にいる。
時間をかけ、お金を出し、体力と気力をつかって、どれだけ尽くしても「むなしい」ばかり。親孝行するなら認知症になる前だ。発病後はもう(ある意味では)親ではない。
とても親だとは思えない。「親だった人」としか思えない。かなしいことだ。