これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症家族も本人もラクになる。。。。。

認知症家族も、本人もラクになる、それができたらいいが・・
 
最近はテレビでもよく認知症の特集番組がある。先日たまたま見ていて、この言葉がひっかかった。「こうすれば家族も本人もラクになる」と、ほんとうに?
 
理論的にはわかる。認知症の人の「異常さ」は、ストレスから来ている。脳が壊れている部分が多いほど、社会性が減り社会適応が困難になり、ストレスが多くなる。
 
対人関係が壊れる。それまでのようにはいかない。友人も離れていく。
 
その本人のストレスをまず減らす。社会から疎外されたような気持ちにしたままではいけない。疎外感や孤独感が不安感と混じって大きなストレスになっている。
 
脳の壊れ具合が同程度でも、ストレスの少ない環境にいる人は、そうでない人に比べて異常行動等(BPSD)が少ない。それは多くの実例が証明してくれている。
 
異常行動が少なくなったら、家族のストレスも少ない。家族も本人もラクになる、ということだ。しかし、これは言うのはやさしいが、実践は難しい。
 
「目を見て話しかける」ことを何回も繰り返す、それがないと「疎外されている」感があるらしい。が、介護職の人はともかく、家族には継続は難しい場合もある。
 
全く会話の通じない相手に、それでも普通に話しかける、なんてムダなことをさせるのかと思う人もいる。家族は職業で介護しているわけではなく忙しい身だ。
 
話しかけてあげても、目も開けず、開けたかと思うと視線をすぐはずす。または、わけのわからない妄想の「聞きたくない」話を一方的にしゃべりだすだけ。
 
そんなことが続いたら、話しかける気にはならない。必要なことだけをさっさとすませて立ち去る。そうしないと自分のほうがストレスでいっぱいになる。
 
「目を見て」というが、ひとがかわってしまった親を見たくない、見るのがつらい場合だってある。「親子だから」こそ、そこまで壊れた(異常になった)親を見たくない。
 
「目を見て」話しかけると、「親だった人」はまるで知らない人を見るような目だ。もしくは敵意に満ちた目。それが平気という人、いるだろうか。他人ならいいが。
 
平気ではなくてもそれができる人、そういう人は認知症の介護ができる。誰でもできるというものではない。慣れればできるものでも、努力すればできるのでもない。
 
誰にでもできる、そんな方法はないのだろうか。