これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症の家族のストレスは。。。。。

認知症の人も、周囲の人もストレスだらけだ。
 
理由としては「治らない病気」で、治療法や対応法が確定していないことだ。その上に脳の病気ということがストレスを大きくしている。脳は今の科学でも未知の分野だ。
 
本人も「自分がどうなっているのか、将来どうなるのか」がわからないから、不安になるし、家族など周囲の人も本人の脳がどう壊れているのか見当がつかず不安だ。
 
その双方向からの不安がいつまでも続き、そのストレスがまたストレスを呼び、病気を悪化させる。そういう悪循環から抜け出せない。治ることがないから。
 
本人の不安を消すことや軽減することは難しい。何がストレスになっているのかを聞き出すことができないから想像するしかない。想像力が豊かであればいいが。
 
「ひとりでいることの不安」というのは老人なら誰にでもあてはまると思う。認知症の人は特にそうだろう。サポートなしで、ひとりでできることが減ってくるから。
 
最初にできることは介護のプラン、方法を考えて「ひとりにしない」こと、それぐらいしかない。そのなかで、徐々にストレスの原因を探っていけば、解決の道も見える。
 
その次が家族など周囲の人の不安の解決だ。不安やストレスでイライラし怒りながらの介護は、「認知症の介護」とは言えない。これは絶対に避けたい。
 
これこそが本人の病気を悪化させる要因になる。娘や息子や嫁のイライラを見ても、それが自分のせいだとは本人は思わない。失業したのか、離婚したのかと思う。
 
その不安から妄想が生まれ、失業したと思い、あちこちに電話して再就職を依頼したり、嫁の実家に何回も電話して探し回ったりする。(実家にいると思い込んで)
 
しかし、家族のストレスは簡単には消えない。「治らないことの不安」は、しばらくすると「あきらめ」になり、消えていく。が、毎日のささいなトラブルは消えることがない。
 
認知症の人と暮らすのは、自分とまるっきり違う世界の人、たとえば異星人か異次元人と暮らすことに近い。話が通じないだけでなく、共通するものがないに等しい。
 
社会通念や常識というもの、それがない。誰でもわかっているはず、のことがわからない。共通の認識がない。共通の記憶すらない。わずか五分前のできごとでも。
 
「言った、言わない」の記憶のトラブルだけでなく、今現在の見えている世界についても「そこにあるのに見えていない」トラブルが生じる。心理的視野狭窄というらしい。
 
脳の壊れ具合によって、テーブルに出してあげているのに食べないのは見えていないことがある。いつもと同じ位置に置かないと、あっても「ない」とされるようだ。
 
それを「何で食べないの」と怒ったり、怒ってはいけないとひたすらガマンしつつも不機嫌な顔になったりする。それは無理のないことだ。家族は脳の専門家ではない。
 
いつもと少しでも違う所に置くと、認知症の人は「ない」とみなしてしまうことが多い。
 
たとえば引き出しの中、いつも右端に靴下を入れていたとする。たまたまスペースがいっぱいで「お気に入りの靴下」をその少し横に入れておいたりしたら問題だ。
 
認知症の人は「いつもの場所」つまり右端しか見えていないから、「お気に入りの靴下がない」となり、「ない、ない」と大騒ぎする。そして家族をとがめる。
 
すぐ横にあるから、同時に視界に入っているはずだ。それが見えていない。認知症の人は、我々とは違う世界を見ている。同じものを見ても見えているものが違う。
 
同じように聞こえてくるものも違う。脳が壊れているとはそういうことだ。それらに普通の人がうまく対応できるものだろうか。できないからストレスは続く。
 
日常のささいなトラブル、行き違いを家族はガマンし続けねばならない。うんざりだ。